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グレイトフル・デッドを嗜みたい

グレイトフル・デッドをわかる人のミュージック・ライフはきっとより豊かだろうと羨ましくなり、あこがれます。

「グレイトフル・デッドは?」と聞かれたら「嗜む程度です」と答えられるくらいになりたくて、特にここ5年くらいは結構な頻度でデッドを聴いておりますが、まったくもって「わかった」とは言えそうもありません。

30年の歴史があるグレイトフル・デッドはメンバーの移り変わりはあるものの、ジェリー・ガルシア(ギター)、ボブ・ウィア(ギター)、フィル・レッシュ(ベース)、ロン・マッカーナン(キーボード/ハーモニカ)、ドラムとしてビル・クロイツマンとミッキー・ハートの2人、演奏には参加しない詩人のロバート・ハンターが主要なメンバーと考えていいと思います。ヴォーカルは概ね、ガルシアかウィアで、レッシュとマッカーナンも歌うといった感じです。

1965年に結成されたバンドの音楽は、カントリー、フォーク、ブルース、ロック、ブルーグラスといった様々な要素をサイケデリックに仕上げた感じで始まっています。ライブの際にはここに即興性が加わり、ジャム・バンドという呼び方に繋がっていったのでしょう。

私が初めて聴いたグレイトフル・デッドは、80年代のヒット曲 “Touch Of Grey” でした。スケルトンが歌う印象的なMVもあってか大ヒットしていまして、誤解を恐れずに言えばポップ・ロックというかソフト・ロックといった感じで聴きやすく、当時はまさかこれが後に知るジャム・バンドとは夢にも思っていませんでした。


雑誌やディスク・ガイド等で勉強していくうちにグレイトフル・デッドがロックの歴史において重要な存在であり、『Live/Dead』と『Aoxamoxoa』が名盤とされているのを知ります。「あのスケルトンMVのバンドがそんな存在だったとは!」と驚き、まずは聴かずしてバンドを語れないとされていた『Live/Dead』を手に取りました。

グレイトフル・デッドの真髄とされるライブは、そこで自由に演奏される音楽以外にも、天高く積み上げられたスピーカーや、ファンによる録音テープ(ライブ会場に録音の為のエリアを設置していたのです)のトレードによる流通など、革新的なエピソードがあります。その背景にあるヒッピー文化を体現した代表的なバンドでもあるわけですが、アシッド・テストと言われても日本で生まれ育った私にはピンときません。

そんなサイケデリックな素養のない私は、『Live/Dead』の1曲目 “Dark Star” の23分間で途方に暮れました。この手の音楽に免疫のなかった私は「好き勝手に演ってるだけじゃないか!」とつまづき、“Feedback”には「これをどうやって聴けばいいというのか?」と理解不能。まさしく洗礼を受けたのです。

「いくらなんでも即興が過ぎる」と思いながらも、それがライブ盤では起こりがちなことは理解していましたので、「ここはひとつ、スタジオ盤を」と次に聴いてみたのが『Aoxamoxoa』でした。いくらか受け入れやすい曲はあったものの、これもよくわかりませんでした。

60年代のデッドはサイケデリック色が強く、ヒッピー世代でもなくトリップもしていない私には合わないのだろうと考え、そっと蓋をすることにしたのです。


おじさんになり、いくらか聴く音楽の幅が拡がった私は、蓋をしていたグレイトフル・デッドに関するドキュメンタリー映画『Strange Long Trip』を観ました。50分ほどのエピソードが6つある映画でしたので、自然とバンドについての理解が深まり、あらためて「デッドを楽しめるようになりたい!」と願うようになったのです。

そこで聴いてみたのが『American Beauty』(1970年)でした。そこには普通に(?)聴くことができる、カントリーやフォークをベースにした名曲の数々が収められていて、もし初めにこれを聴いていたらきっと蓋をすることはなかったでしょう。

『Live/Dead』では好き勝手に弾いてるように感じた2人のギターが、ここではなんとも不思議で、絶妙な響きを生み出しているのを感じることができました(本作でガルシアはペダルスティールを弾いている曲も多いです)。全曲を通じてゆったりした穏やかな曲調でありながらもゆるくなりすぎていないのはリズム隊による部分が大きいのでしょう。特にレッシュのベースは巧みに躍動していて、すっかり惚れてしまいました。

中でも“Ripple”は本当に気に入りました。マンドリンはデビッド・グリスマン。


そうすると俄然、デッドを聴き進める気持ちが強くなってきます。ライブにこそ真価があるジャム・バンドということだけは学んでいましたので、痛い目にあった『Live/Dead』とは別のライブ盤『Grateful Dead(Skull & Roses)』(1971年)に手を出します。するとそこでは “Bertha” から始まるのです!まさかの普通に軽快なロック!落差があり過ぎる!

もちろん、ここでも18分ほどの“The Other One”(ウィアのドキュメンタリーのタイトルにもなっています)のようなジャムバンドらしさを体感できる曲は収録されていますし、“Johnny B. Goode”などのカバーもあるので聴きやすく、デッドの音を知る上でとてもありがたい良盤だったのです。

この2枚でデッドの蓋を開けた私は、『Workingman’s Dead』(1970年)やアコースティック主体のライブ盤『Reckoning』(1981年)も愛聴するようになり、そうなれば『Blues For Allah』(1975年)や、『Reckoning』と対になるロック主体のライブ盤『Dead Set』(1981年)だって楽しめるようになってきます。

ここまできて、やっと60年代のサイケデリックなデッドも少し聴けるようになりました。(別に無理して聴く必要はないんですが、あれだけ名盤と言われてるからには何かあるんだろうと知りたくなるのです)

そもそも、音楽を聴くのに「わかる」とか「わからない」とかは考えなくても良いと思います。それでもやっぱり、ガルシアとウィアのギターが奏でる響き、特にライブでの即興が続く中で突如訪れるジャンルを超越した瞬間に圧倒されながらも「音楽がわかる人ならもっと感動するんだろうな」と羨む気持ちに変わりはありません。ただ、確かにその不思議な響きは他にはない音楽だと思うようになりましたし、聴くというよりは身を浸すくらいでちょうどいい気がしてきました。「嗜む程度」と言える日は近いかも?

少し遠回りしましたが、『American Beauty』や『Workingman’s Dead』、『Reckoning』で聴けるゆったりとした優しい曲の数々は私の音楽体験をとても豊かにしてくれましたし、そこから入り直したグレイトフル・デッドはまだまだ聴くものがたくさん残っている、奥深い存在です。


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