見出し画像

心を飼われないように 〜インスタとの付き合い方

クリスマスイブにこんにちは。
どんな記事だよ、って感じですが最近私が思っていることなので綴りたいと思います。

インスタ特有の雰囲気

久しぶりに始めたんですよ、Instagram。
やっぱ楽しいですね。
かわいい写真を見たり、人の個性的なアカウントや投稿を見るのが楽しいです。

ただ私が個人的にどうしてもやりたかったこととして、写真や思い出の備忘的に利用したかった。
最近、かわいいものやおいしいもの、心ときめくものを買ったり見て、終わり。写真を単に撮って終わり。っていうのじゃ、物足りなくて。

よくある承認欲求なのかもしれません。
でも、普段私がnoteやTwitterで行なっているような「自己発信」による“よろこび”をInstagramでも味わいたいなって思ったんですよね。

いつもは有名人のアカウントしか見ないインスタグラムでしたが、新しくアカウントを作って、写真を載せ始めました。

いざ、乗り込んでみて思ったのが、インスタ独自の雰囲気です。
特有すぎます。Twitterともnoteとも違う。
さすが大手SNSだと思いました。
この挨拶がわりのいいね、ちょっとよかったらフォロー。
最近はストーリー機能とかが充実して、どこまでも様々な形で「じぶん」を表現できるようになっていました。

楽しいですよ?
なんか最近、ちょっとUIやボタンの配置が変わって、使いづらくはなってましたけど。

私が意識していること。「インスタに心を飼われない」。

これ、私が一回目にインスタを挫折したきっかけなんですよね。
多感だった学生時代にインスタと出会い、人並みに利用していました。
ある日、いい感じのお店に行って、おしゃれな写真が撮れた!と満を辞して初投稿した日。

知らない誰かからのすごい数の「いいね!」が寄せられたんですよね。
「え、いいねってこんな気軽に来るの?」
それがインスタの第一印象でした。

そこからは圧倒的に、みるみるインスタに心を侵食され始めましたね。
インスタのために自分なりに写真の研究をして、スマホじゃ上手に撮れないからミラーレス一眼レフのカメラを買って、いいねが思ったより伸びなかったり、後から良くないと思った写真は削除して。

言うのならば「いいねをもらうために写真を載せている」状態になってました。
いいねがもらえたりフォロワーが増えたら嬉しいけど、その逆の時はすごく落ち込んで、一喜一憂していましたね。

振り返っても、良くなかったと思います。
だって、手段と目的が真逆になってます。
それに気づかず、どんどん堕ちていく。
奪われたのは金と時間です。私らしさは失われていきました。ただただ、インスタというコンテンツに支配されていました。

そう、気がついたらインスタに心を飼われていたんですよね。
すべてをインスタ基準で考えるようになっていました。今思うと、良くなかったなあ…そりゃ、つらかったねと自分をいたわってあげたい気持ち。
インスタが悪い訳じゃなく、インスタがそういう側面を持っているのと、私自身の問題でもありますね。

それに気づき始めた日から、徐々に投稿を消しました。全部消して、ある日それが爆発した日、アカウントを消去しました。
今思ってもその日がトラウマですね。思い出したくもないです。怖かった。

私がそういう“飼われやすい”体質なだけかもしれませんが、もうあんなことは繰り返さない。
もう飼われないぞ!と思っていても、「どういう配置でアップしようかな…」とか、「次の投稿のバランスは…」と気づいたら考えている自分もいます。

でも、それもあくまで私の感情。
すべてを否定したいわけじゃないんですよね。
だから、私は自分の中でルールを作ってインスタをしていこうと思いました。

①インスタのために写真を撮らない。
撮るのは、かわいいと思った写真。撮りたいと思った写真。
②インスタのために物を買わない。インスタに載せたら映えるから買う、とかはしない。買うのは自分が欲しいと思った物。
③相手目線で投稿を考えない。これ載せたらいいねもらえないだろうな、とか考えない。考えても、載せないという選択肢はない。
フォローもいいねも、自分主体で行う。あくまで自分の心が求めるように、動作をする。
④上記のようなルールに縛られず、撮りたい・載せたい写真をアップする。

再確認の意味合いも兼ねて、私の投稿とともに見ていきたいと思います。

①インスタのために写真を撮らない

これは最初のうちは地味にあると思います。
私は過去に何度もありました。

私の周りは、基本おしゃれなものやかわいいもので溢れています。それを求めているから。
ですが、その身近にあるすべてを無理をしてインスタに載せる必要はないんです。

最近私、地味にやりかけたんですよね。
半年くらい前に行った美術館の展覧会のグッズをインスタに載せようとして、写真を撮りまくってました。
でも構図がうまく行かず、ああ上手く撮れない…家にあれがない…載せたいけど配置はどうしよう…でもサムネはこれがいいし…。

私の中である私が叫びました。
「その写真、無理に載せなくていいよ!載せるまでにそんなに悩むなら、また載せたくなったら載せればいい!今はもう何も考えないで!」
確かにそうだね!気づかせてくれてありがとう!センキュー私。

インスタがなくても、私の周りはかわいいで溢れています。
今までがそうだったように。
だから無理して、写真で表現することはしません。

こういう写真が一例です。

私は、プロ野球チップスを買い、どんなカードが出たか振り返りたかったからこの写真を載せました。

インスタ的にはまったく映えないです。
むしろ映えとか、全然意識してません。

奇しくもこれはサムネが推しの大田泰示さんと、フォトジェニックな高橋礼くんなだけです。

②インスタのために物を買わない

これもあるあるじゃないですか?

私も昔はあったんですよね。苦い思い出です。
かわいいだけのお菓子や食べ物、気に入らない雑貨のために大金を叩いたことが何度あったか。
ミラーレス一眼も今思えば全くよくなかったです。中途半端にケチっちゃって、性能が良くなかった。こんなにスマホでも綺麗に撮れるのに。

これはインスタに限らずですが、どんな時も大切なのは心の豊かさだと思っています。
大事なことは、自分の「かわいい」「綺麗だな」「なんかいいな」と思った心。
それがすべてであり、それを共有・表現したいからインスタに載せるだけです。

この写真が一例かな。

私は、このお菓子の表面のピカチュウのイラストがかわいかったので投稿しました。

インスタ映えすると思って、このお菓子を食べたくもないのに買ったわけじゃない。

だから、サムネもピカチュウにピントを合わせたものにしてあります。
本当にかわいいお菓子です。見つけた時、心が弾みましたね。

③相手目線で投稿を考えない

この写真やモノは、一般的に見たらそれほどかわいくないだろうな。
いいね、もらえないだろうな。
買ってよかったし嬉しかったし、インスタに載せようと思ったけど、やめておこうかな。

ちょっと待って。また私の中で声がしました。
「載せたいと思ったら載せな!相手のリアクションや感情なんてどうでもいいじゃない!あなたは、誰のためにインスタやってるの?」
なるほど、そうね!私は私のためにやってる。ありがとう!

これが一例ですね。

栗原陵矢くんの笑顔と、推しの大田泰示さんが付録のカレンダーになったことが嬉しくて、この本を買いました。
その喜びを伝えたかった一投稿です。

案の定、いいねはなかなか来ませんが、別にいいねをしてほしくて写真を投稿してるわけじゃないです。
載せたい写真を載せただけなので、別に何ともないです。

あとはこんな投稿も。

お母さんが買ってきたキウイフルーツのオマケでついてたマスコットです。
なぜかお母さんが「見つけた!かわいい!嬉しい!」って言ってて、そうかな?それほどか?って私は思ってました。
でもどこかそのお母さんの姿が面白くて、釣られて私もなぜか好きになっちゃいました。
私的にこのキャラクターは、それほどかわいいなって最初は思いませんでした。

でもいいんです。私が「なんか好き」で、「載せたい」と思ったから。
それがすべてです。

④上記のようなルールに縛られない

でも私は、こういう写真も載っけてます。

キャンドゥで買った『ブラック・ジャック』という作品のピノコというキャラクターです。
ピンクで、女の子らしくて、もうアホみたいにかわいいし、絶対映えると思って載せました。
こういうことをしたくなる日もあるんです。

適当にとった吉沢亮さんのクリアファイルの写真です。パイの実のオマケですね。
部屋で持て余していて、顔面最強なのでインスタに載せたくなった。なんとなく。

そんだけ。

理念に基づいてるようで、基本はフリーにやること。自分の定めたルールに縛られないようにする、というのが最後のルールです。

それくらいの気持ちでいいんじゃないかなと思いますね。ルールなんてあっても、最後は自分の心に優しく接して、やりたいようにすればいいんだと思います。
すると、結論が見えてきましたね。

結論:無理しない範囲で、楽しくやる

この世におけるすべての物事の基本みたいな結論が出てきましたね。
でも、ここまで出して、辿り着いた最適解です。
私は、私なりに無理せず楽しくやっていこうと思います。

さてさて、今日は楽しいクリスマスイブです。
こんな写真を載せました。

セブンイレブンでケーキとチキン(ななチキ)を買って家族と食べました。
写真も上手に撮れたと思います。
……正直な気持ちとしては、普通のケーキの方がシンプルに映えるかな?が半分と、無難なこういうケーキが食べたい、おいしそう!が半分。
予想外だったのは、チキンのパッケージがかわいかったことです。店員さんがアセアセ包んでいたので何事かと思いました。こういう日々が嬉しいんです。
これくらいで、いいんじゃないかな。

私のペースでインスタができたらなって思います。そんな振り返りと意思表明の記事でした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?