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老子道徳経と中医学的身体観㊿


副題 貴生

鳳凰堂流解釈

中国医学的身体観としては、

昔は生きる事、死ぬ事と言う人の大事な事を死生と言っていました。

死生観等は現代でも残っていますが、今はほとんどの人が生死と言う使い方ではないでしょうか。

死が先に来て、次に生が来る。

厳しく自然の中ではいつ死んでもおかしくなく、生きている事が有り難い、そんな見地からこの言葉が成り立ってきたのであれば、

今生きている事、明日目が覚める事にも感謝でき、それを支える身体、周囲の人、社会にも感謝できるだろうと思います。

身体は当たり前にあるのではなく、絶えず変化しながら生きている。



鳳凰堂流意訳

人は生まれれば必ず死ぬ。

三割は長生きし、三割は早死にする。

そのままでいれば良いのに、下手に動いて死ぬ人も三割。

この違いは生の執着にある。

昔次のような話を聞いた事がある。

ある人は、生を全うしていた。

その人はサイや虎がいるような場所でも会う事がなく、戦地でも死ぬことがないと。

サイも虎も武器である角や牙を使えず、敵も武器を使えない。

なぜなら彼が生に執着していない為、死に入る事がないと言う事である。

直訳
出づれば生、入れば死。

生の徒十に三あり、死の徒十に三あり。

人の生くるや、動きて死地に之(ゆ)くものまた十に三あり。

それ何故ぞ。その生を生とするの厚きを以てなり。蓋(けだ)し聞く、「善(よ)く生を攝(せつ)する者は、陸行して兕虎に遇わず、軍に入りて甲兵を被(こうむ)らず」と。

兕もその角を投ずる所なく、虎もその爪を措(お)く所なく、兵もその刃を容(い)るる所なし。それ何故ぞ。その死地なきをもってなり。

原文
出生、入死。生之徒十有三、死之徒十有三。人之生,動之死地亦十有三。夫何故。以其生生之厚。蓋聞,善攝生者,陸行不遇兕虎,入軍不被甲兵。兕無所投其角、虎無所措其爪、兵無所容其刃。夫何故。以其無死地。

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