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時をかけるおじさん 8/ 派手好きな父が地味になった

2015年、長年の主治医だった医師が急病により、休職されることになった。それを機に、自宅近くのクリニックに転院。
そこの検査でも認知症ではなくあくまでてんかんという診断を受ける。家族が抱く認知症の疑いは、なかなか晴れない。

その年の秋、父と母は弟の大学が主宰するラグビーの試合観戦に行った。
ラグビー場で席を取り、席に父を残して食べ物・飲み物を買って母が席に戻ると、父はそこにいなかった。
驚いた母は父に連絡を取ろうとするが、携帯はいっこうに出ない。待っても戻らない、探しても見当たらない。
数時間後、家に電話してみると父が電話にでた。ひとりで家に帰っていたのだ。後から聞いても、そのときの記憶が一切ないという。
やはり父が、どこかおかしい。

このようなできごとを医師に伝えるも、これも「無意識の行動=てんかん発作」と言われる。

その頃の父は、もともと不注意な性格があるとはいえ、しょっちゅうものを紛失していた。マフラーや手袋などの小物は当たり前、比較的高価な上着も紛失したりした。PCなどの紛失も以前からあったが…。常識では考えられないとはいえ、父の不注意や物への執着のなさはもともと異常レベルではあった気はしている…。とはいえ、その程度は年々悪化していた。

時間や曜日の感覚はなくなり、日にちは正確に把握できなくなった。
ときに早朝か夕方かの区別がつかなくなり、早朝6時か夕方6時かがわからず母を早朝に起こすことも頻繁にあった。
歩くのも遅く、足を引きずるように歩くこともあり、体のバランスも不安定。
外出も減り、家に閉じこもりがちになっていった。午前も昼も問わずうたた寝をしていることが増えた。

時間の感覚もなくなって来た頃、なぜか夜の散歩に外出したと思ったら、なんの変哲もない平らなところで転び、肩を打って帰宅したこともあった。

また一つ大きな変化として、服装に無頓着になっていたということがある。
父はどちらかというと派手好きというか、服へのこだわりは昔から強い方で、値段を見ずに服をバンバン買うタイプだった。
母が買うこともあるが自分で選んでくることがほとんどで、奇抜な配色や組み合わせを選ぶ父の趣味はたまに理解を超えていたが、世の中のお父さんよりは結構派手な父のことは、今考えれば結構好きだった。だから一日中部屋着でいるようになったり、たまに外出しても自分の服に興味を示さなくなった父に気づいたときは、少し悲しかった。

ちなみに、大きな発作を起こして倒れたとき、父は黄土色の千鳥格子柄のスリーピース(ジャケット、ベスト、パンツ)姿だったそうだ。私は全然覚えていないが、なかなかなファッションだ。。欧米か!っていう突っ込みが、正しいのかどうか。

母は縁起が悪いと、早々にそのスーツを捨てたらしい。

文・絵 / ほうこ

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