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時をかけるおじさん 9/ やっぱり認知症でした

この頃の父はまだ多少アクティブだった。自分で申し込んだフランス語講座もなんとか続けていた。歯が痛いと、自分で歯医者を見つけてきて通うこともあった。ただ、ある日は歯が痛い痛いといいながら歯医者に出かけたのに、忘れて喫茶店でお茶を飲んで帰ってきたという。これは不思議でしょうがない…。歯痛さん、あなたはどこへ行ったのですか…。それはそれでいいか…いやよくないか…。

約束の日時、決められた日時に目的地にたどり着くことは本当に難しかった。母は甲斐甲斐しくリマインドし送り出したり、高い頻度で、ほぼ目的地まで同行した。家を出て駅までたどり着くまでの15分程度でも、父は記憶が保てなくなっていたのだ。

2016年の夏に再度転院。てんかんの治療薬も変更した。

しかし父の記憶のますますの低下を感じた母は、薬の変更によるものかと改めて新しい医師に相談すると、父の症状がてんかんの症状と食い違っていると指摘される。
その後、医師の紹介のもと、検査入院をして精密検査を受けることになった。

入院の翌日見舞いにいくと、父は閉鎖病棟に入っていた。
入院初日、自分がなんでここにいるのか、いくら説明を受けても納得できないのか忘れてしまうのか、おそらく暴れたのだろうという。
父のいる病室のフロアは必ず鍵を開けないと入れないようになっていて、入院患者の無断外出は決して許されないどころか、フロア内を一人で出歩くことも制限され、というより慣れない場所を父一人で動くことはかなり困難になっていた。とても綺麗な病棟で、浴槽までついているお風呂やトイレ、テレビ。とても設備は整っていたが、父の混乱は落ち着かず、本来入院するはずの日程の間も、しばしば自宅への外泊を挟み、だましだましなんとか2週間の検査を終えた。

このときになってはじめて、今まであったとされる脳のキズのほかに、側頭葉の血流低下が発見され、てんかんと両方持っているとの診断を受けた。
出た結果は、中程度のアルツハイマー型認知症。

何はともあれ、認知症のための治療薬がようやく処方された。そのためか記憶は少し改善されたようにみえ、怒りっぽくなっていた父の雰囲気も、穏やかになったように感じた。とはいえ父は自分が病気であるという認識がない。診断は本人も聞いているものの、それを覚えてはいられないのだ。

薬は処方されたが、その他にトレーニングなどを行うわけでもなく、基本的には家でじっとしている時間の多い生活では、父の病気は進行は早いのではないかという恐れはあった。案の定認知症の症状は、多少抑えられることはあっても、決して巻き戻すことはできないのだった。

文・絵 / ほうこ

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