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義母のブログで知る、難病患者の生の声

今回は、訪問看護からちょっと外れて、私の義母の話です。
私の義母は、進行性の難病を患っています。
結婚前に初めて夫の両親に会ったとき、エスカレーターに乗り込む義母の足取りのぎこちなさに、「あれ?」と違和感を持ちました。当時義母はまだ50代。若いのにな、足の調子が悪いのかな……くらいで、深くは考えていませんでした。

病気のことを知ったのは、結婚して子供が生まれて少し経った頃。
障害者手帳を取得したことを知らされ、びっくりしたと同時に、「ああ、そうだったのか」と思ったものでした。
最近知ったことですが、発症は約20年前だったようです。

結婚前に義母の病気のことを知らされていなかったことについては、「どうして教えてくれなかったの」「事前に教えて欲しかった」とは思いません。
いえ。正直に言うと、「すでに発症していたのなら、教えて欲しかった」と少し思いましたが、それは「病気のことを知っていたら、結婚しなかった」ということではなく、「隠すことではないのに」という単純な気持ちです。
でも、難病の当事者である義母とその息子である夫にとっては、(結婚するとはいえ)他人である私に、不治の病であることを簡単に打ち明けることはできなかったでしょう。
「身内が難病」という事実が結婚の障害になるかもしれない。そんな風潮が、そもそもおかしいという考えもあったのかもしれません。
私が逆の立場でも、素直に話せるかどうか、自信はありません。

義母は、とても聡明な人です。
物知りで、好奇心が強く、探究心が人一倍あり、エネルギーの塊のような人です。
決して良い嫁とは言えない私を、いつも笑顔で迎えてくれます。
病気の症状が進行してからも、弱音を吐かず、持ち前のユーモアと明るさを武器に、自分の運命に正面から向かっていくような強さがあります。
少しでも進行を遅らせるためにリハビリに励む姿は、前向きそのもの。
でも、前を向き続けるということは、その先にある自分の未来……やがて身体が動かなくなり、寝たきりになる未来……を、嫌でも見据えることになります。

最近、夫に教えてもらい、義母のブログの存在を知りました。
義母はお喋りが面白く、素敵な文章も書きます。
義母のブログには、自由にならない身体と生活のこと、食事・排泄・睡眠の困りごと、それらの不自由をどのように捉え対処しているのか、生活の工夫、気持ちの保ち方など、難病当事者のリアルな声が綴ってありました。
さらに、家族に病気を伝えた日のこと、発症以降も家族を支え続けた日々のこと、家族に迷惑をかけたくないという現在の心境など、いつも元気で明るい義母が感じている苦労や辛さ、生の声が詰まっていました。
でも、不思議と義母のブログは、悲しさが一切ありません。
苦労や辛さをユーモアに変換する義母の言葉は、どこまでも明るく、強いのです。

このような当事者の声は、家族としてはもちろんですが、ケアすることを生業にする者にとっては、とてもありがたいものです。
当事者にしかわからないこと、感じられないこと、見えないものがあります。
それらを、生き生きとした言葉で綴ってくれている義母に感謝しています。


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