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はたして、音楽は万能薬か


根拠のない自信」には自信があった。

一応、私の中の定義を明確にしておこう。「なんかよくわかんないけど、たぶん上手くいくでしょ」ってこと。

幼い頃から、自分はラッキーだ、運がいい、と思って生きてきた。別になんの才能もないよ。運動神経激悪で体育の授業は競技によっては半ば地獄みたいだったし、人付き合いは得意なほうじゃなかったし、習い事をしたことがなかったから、クラス替えのあとで自己紹介カードを書きなさいって言われても、【しゅみ・とくぎ】欄に何を書いたらいいのかサッパリだったのをよく覚えている。
不幸自慢じゃないけど、家庭環境もお世辞には良いと言えなかった。小学生の頃から家庭内別居の機能不全家族で、父は私たちの生活費を出そうとはしなかったから、お母さんは身体を売ってお金を稼いでくれていた。姉は軽度の発達障害で、小4から抜毛症が始まった。姉はなんにも悪くない。けれど、色んなことが重なって、お母さんはきっと限界だった。その頃からだ、家がもっとおかしくなっていったのは。

それでも、小学生の私は日常で小さなラッキーを見つけて、「自分は運がいい。恵まれてる」って本気で思ってた。将来の自分には無限の可能性があると、本気で信じていた。「根拠のない自信」である。

中2のころ、両親が離婚した。お母さん、その頃には風俗をやめていたっけ?もっと稼ぎたいからAV出てもいい?って言われて全力で止めたのは、一体いつのことだったか。

当時、お母さんはかなりの短気だったけど、私たちへの愛がなかったわけじゃ絶対にない。置かれた状況を鑑みれば理解できるってものだ。機嫌がいいときにはケーキを買ってきてくれたり、2人でお花見に出かけたりもした。ただ、その不安定さが、揺らぎの大きさが、ずっと不機嫌でいられるよりも遥かに私を不安にさせた。

ガタガタ、グラグラ、今にも崩れそうな状態でもなお、私は自分を特別ラッキーな人間だと思い続けることをやめなかった。席替えで好きな人や友達と隣の席になるたびに。入りたい委員会に入ることができたり、出席番号がゾロ目だったりするたびに。

でも、気づくときは来る。自分はラッキーなんかじゃなく、当たり前の幸運を人並みに享受してるだけで、ほかの人はそれに加えて私が欲しいもの(賃貸じゃないきれいなお家や自家用車、仲の良い両親とか)も持っているんだってことに。

気づいた瞬間、私を支えていた「根拠のない自信」は音を立てて崩れた。そこからは、ずっと暗黒期。高2の終わりくらいまで(受験勉強を始めるまで)、何をしていても死にたかった。友達と居ることが、部活が、勉強がどれだけ楽しくても、漠然とした希死念慮がそこには佇んでいた。「いますぐ消えてなくなりたい」という思いが高じて、学校から帰ってきたら安楽死について調べまくったりもしていた。真夜中まで。

ところで、ロックバンドに出会ったのは中2の頃である。まさに沈み初めの時期。

ロックバンドのライブはひたすらに楽しい。どれだけ嫌なことがあろうと、ライブの間だけは生きていることを実感できた。「自分はこの瞬間のために生きているんだ」って、冗談抜きで思っていた。この感情に嘘はない。

ここで主題に戻ろう。音楽は万能薬か。

私の答えはノーである。前述の内容と矛盾するように感じられるかもしれないが、音楽を聴いても金は増えない。世間は優しくならない。自分の人生を形作ることができるのは、自分の歩みによってのみだ。

しかしながら、ほとんど崩れてなくなっていた「根拠のない自信」に足場をかけて、なんとか「ほんのすこしの自信」くらいにまで持ち直すことができたのは、間違いなくライブによって生の実感を得ることができていたからである。結果的にはライブの効果は一時的であって、希死念慮が完全に消えることはなかったわけだけど。

ということで、思うに、音楽は延命措置。どうしようもなく辛いときに一時的に命を繋ぐもの。本当にギリギリ、落ちるところまで落ちてしまった際には、音楽は機能しないことがある。私も、もう本当に人生を終わりにしようとまで考えたときには、いかに好きな音楽であっても身体が受け付けなかったことを覚えている。ないよりは絶対、圧倒的にマシなんだけどね。


大学生になってから、「根拠のない自信」は回復した。大学受験を乗り越え、お母さんは再婚し、姉も普通に働いて、生活の基盤が安定したからである。安定した生活基盤と将来への展望があれば人間、どうとでもなる。安定した生活基盤は、金さえあればどうとでもなる。案外、人間ってそんなものだ。テキトーに世界は回っている。
以上、20年生きた人間の知見。

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