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ハイデガーって聞くだけで難しいなと思っていた人が、ついにハイデガーの門をくぐりたいと思ったときにやること

こんにちは。京都市在住の哲学者、谷川です。

京都市在住じゃなくなったとき、どうするんだろうなと思っている今日この頃。さて、今回はマルティン・ハイデガーの話。

哲学の三大難解書という、誰が言い始めたか知らない言葉がありますが、その一冊がハイデガー『存在と時間』です。20世紀最大の名著の一つと言ってよいでしょう。

ちなみに、「三大難解書」は、カント『純粋理性批判』、ヘーゲル『精神現象学』だったはずです。ドイツばっかりやんけ!と言いたくはなりますが、あまり否定する声を聞いたことはありません。

そんなハイデガーは哲学を研究する人にとっても鬼門であり、同時に一種の憧れと嫌悪の対象になっています。

存在と時間の翻訳なんて、9種類あるんですよね。今なお手に入るものだけで、7種類。入門書も膨大にある。こんな本はほかにありません。

だから、登山口ですでに迷子になりかねない。その辺りを実際最近たどりなおした私が、ハイデガーの門はこうやって潜ればいいんじゃないか?という方法(ただし『存在と時間』に限る)をご紹介します。

要するに、『存在と時間』と、やっと友だちになれた私がやったことを語ることで、「入門書」と呼ばれる実際には難易度がまちまちなものとどう付き合うのかについてお話する記事です。



ハイデガーの難しさはどこにあるのか

ハイデガーは難しいというけど、どんなのか読んだことない人向けに、まずこちらを。

現存在というこの存在者は存在的・存在論的に第一次的に与えられている存在者でもなければならず、しかも、この存在者自身が「直接的に」とらえられうるという意味においてばかりではなく、この存在者の存在様式が同じく「直接的に」前渡しされているということに関してもそうだという見解である。現存在は、なるほど存在的には、身近であるばかりではなく、それどころか最も身近なものですらある。そのうえわれわれはそのつどみずから現存在なのである。それにもかかわらず、ないしはそれだからこそ、現存在は存在論的にはもっとも遠いものである。なるほど現存在の最も固有な存在に属しているのは、この最も固有な存在についてなんらかの了解内容をもち、おのれの存在の或る種の被解釈性のうちにそのつどすでにおのれを保持するということ、このことではある。

これを難しく感じるのは、みなさんだけではありません。私のような一般哲学徒も同じです……。

なぜ難しいのか、それは彼が独自の用語法をつくり、それに則って文章を書いているからです。人工言語で仕事をしているようなものなんですね。

なぜ人工言語を使うかというと、歴史をかけて培われてきた、その言葉に備わる一連の連想が紐づいてしまうからです。また、その結果として、区別されるべき事柄の区別を曖昧にしてしまうかもしれないからです。

例えば、現存在、存在的と存在論的の区別などは、そうした事情から来ているものです。

だとすれば、私たちがハイデガーの門をくぐる上でなすべきなのは、彼の用語法に慣れること、彼の言葉のリズムに慣れることです。そのためには何ができるでしょうか。

答えは簡単です。入門書を読むことです。入門書は、言葉を絞った上でハイデガーの用語法に私たちを慣らしてくれる。入門書だからといってバカにする必要はないわけですね。

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