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ZINE『暮らしは、ことばでできている』の前書きを公開します。

このページで紹介するのは、私、谷川嘉浩と、私が声をかけたlotusが編集・発行するZINE『暮らしは、ことばでできている』のまえがきです。

書き手には、夜の羊雲さん、塩谷舞さん、渡辺祐真(スケザネ)さん、木澤佐登志さん、昼間さん、ぃぃさん、吉田ボブさん、山本ほらさん、松本昨さん、そして谷川とlotusがいます。

この中には、文筆家やライター、書評家に哲学者のような「文字のプロ」もいます。他方で、漫画家・クリエイターや編集者、イラストレーター、デザイナー、そして会社員のような、表立っては文章表現をしていないけれど、光る視点で言葉を拾い集めた上で、それらを独自に再編集することができる方々もいます。

文学フリマ大阪が2024年9月8日、つまり今週にあり、そこでこのZINEを頒布します(天満橋駅直結のビルにて)。よければぜひ!

詳細は下のリンクから。

まえがき

 ネットにも書籍にも、役に立つ言葉、深い言葉、他人に影響を与えようとする言葉ばかり。どれもまばゆく、騒がしく、前向きで、誇張されている。文筆家の塩谷舞さんの『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)が文庫化されたとき、その解説として書き下ろした「『夜の言葉』を書く人」に、こんな文章を書いたことがあります。

今日のインターネットでは、人目を気にする「昼の言葉」が力を持っている。魅力や価値、メリットをアピールし合うためのボキャブラリー。それは人気や注目を得ようとする言葉であり、構図を単純化してわかりやすくする言葉であり、人を動かすことに特化した言葉であり、他より自分が優れていると示すことに関心を集中させた言葉である。

私も書き手の一人として「昼の言葉」を発することも多いのですが、そんな現状に少し疲れを感じてもいました。

 「昼の言葉」に疲れ、気だるさに浸っていたある日、哲学者のポール・リクールの発言に出会いました。彼は教え子の文章を読んで、「とてもよいですね、でもそこに庭は?」とコメントしたことがあるそうです。「庭」ということで、リクールが何を念頭に置いていたのかを確かめることはできないのですが、それにしたって「庭」は、色々な連想を誘い出してくれる言葉です。

 庭は、ある程度区切られた場所です。広大な場所よりも、小さな区画の方が「自分の場所だ」と感じられて、何かを実験してみたくなります。ネモフィラが好きならそれを植えてみたり、すでに生えている楓の木肌に触れてみたりする。そういう小さな「やってみよう」の気持ちを誘い出す庭でこそ、私たちは、自分なりの実践を育むことができます。

 庭は、閉じきれない場所です。ずっとケアしていた野菜が急に枯れ始めたのに、植えた覚えのない植物が元気よく育ち始めるなどといったことは珍しくありません。鳥や風、衣服に運ばれて、どこからか植物の種がやってくるからです。庭は、他者を拒み切れない場所なのです。

 こうして庭のイメージを膨らませていると、「庭のようなZINEが作りたい」と思うようになりました。言葉を遊ばせる庭のような冊子です。


 今日のインターネットでは、威力や影響力を重視する、大げさで強い「昼の言葉」が研ぎ澄まされています。そういう言葉がまぶしすぎると感じたとき、ZINEという紙のメディアは、ちょうどいいリトリートの場所になります。

 綴じられた冊子は、まばゆい昼の言葉から切り離された状態で、ゆっくりと言葉を育むことのできるメディアです。この庭のような場所に、文筆家、会社員、研究者、クリエイターが、見つけてきた小さな言葉の種を持ち寄りました。いずれも、本誌を制作した私たちが、その感性と知性に惚れ込んだ人たちです。


 少しだけ内容も紹介しておきます。

 自分の「好き」を誰かに伝えるときに巻き起こる微妙な心理についてのエッセイ、「私は美しい暮らしが好き」を書いてくれたのは、塩谷舞さん。彼女が上梓した『小さな声の向こうに』(文藝春秋)のサブエピソードとか、もうひとつのあとがきとして読めるような内容。直感的に書かれたように見える文章を書く人だけれど、いつも考えすぎるくらい考えて言葉を選んでいるのがわかる。今回も。

 この本の制作者の一人でもあるlotusさんのエッセイ「翻訳される言葉たち、そして、芋堀りの時間」では、推しのコンテンツを翻訳する人たちの言葉遣いと、祖母の家がある田舎に帰省した折に触れたジャガイモ畑のイメージが混ざり合う。ネットから切り離された田舎での時間が、翻訳とは何かという遠い文脈の思考を誘っていく。BTSのj-hopeさんとジャガイモが同時に出てくるエッセイは、世界でここにしかない気がします。

 クリエイター・夜の羊雲さんには、「或る数日間の記録・龍の村にて」という文章を寄せてもらいました。ある村に滞在して過ごした数日を書き留めた日記形式の創作です。夜の羊雲さんといえば、漫画『夢想のまち』(芳文社)や『酔いとゆくすえ:酒村ゆっけ、小説コミカライズ短編集』(KADOKAWA)であり、その言葉選びや場面づくりの巧みさ。この原稿も、あまりによすぎて、なぜこんなにいいと言えるのかを長文でご本人に説明してしまったくらい完成度が高い。

 哲学者である私、谷川嘉浩「『永遠には続かないもの』と、旅のパラノーマルなリズム」というエッセイを書きました。kashmirさんの『ぱらのま』(白泉社)という日常旅行マンガを手がかりに、終末世界とか終着駅と聞いて人は心躍ってしまうのはなんでだろうね、みたいな話題を掘り下げる内容です。何かが永遠には続かないこと、「おわり」があることによって、生活の中にはリズムが生まれます。友だちとの楽しい飲み会もそのうち終わるし、穏やかな休日の朝も永遠には続きません。楽しいことがあると、その「おわり」を想像してしまう私の習慣が、この文章の背景にあります。

 文筆家の木澤佐登志さんには、ネット公開されている『lainzine』という冊子について投稿しているのを見つけたのをきっかけに依頼しました。あがってきた文章は、「serial experiments lainと九〇年代サイバーカルチャーの諸相」。一九九八年に公開されたゲーム/アニメである『lain』は、九〇年代のアングラな雰囲気が詰まった陰鬱な作品。国内外でカルト的な人気を誇っており、安倍吉俊の描いた岩倉玲音はアングラなネット文化のアイコンにもなっています。『lain』とネットカルチャーを絡める観測範囲も、この文体のドライブ感も、木澤さんでしか味わえないなと感じます。

 それに加えて、日記形式の文章を複数人に書いてもらっています。編集者の吉田ボブさん、デザイナーのぃぃさん、会社員の山本ほらさんと松本昨さん、イラストレーターの昼間さんです。関係性のディティールが滲んで見えてくるような日記もあれば、最初と最後が円環のように結ばれる日記から、冗談のような日常の記録まで。それぞれの文章の完成度が高いので、固有名詞が全然出てこない日記と、固有名詞に異常なこだわりを見せる日記など、人ごとに言葉の拾い方が全然違う様子を、色々な角度で楽しめるはずです。

 最後に、書評家の渡辺祐真(スケザネ)さんと、私の対談「いま言葉で伝えることとは? 威力重視の言葉が使われる世界で、ためらいながらの言葉を紡ぐ方法」も収録しています。現代の言葉遣いについて掘り下げながら、このZINEで試みたことを位置づけるような内容です。


 私たちが暮らしの中で出会い、生み出す言葉の大半は、クライマックスもドラマもないオチもない言葉です。暮らしに満ちている他愛ない言葉を、何かに役立てるなどと考えず、怠惰で無為に味わうこと。『暮らしは、ことばでできている』が、あちこちから拾い集めた小さな言葉を、そんな風に楽しむ場所になっていればいいなと思っています。


サークル「言葉の遊び場」を代表して
谷川嘉浩


追記(2024.09.09)

鴨葱書店(京都・南区)と、UNITE(東京・三鷹)、本屋B&B(東京・下北沢)でも販売しています。

なお、私による直販も検討中です。


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