線を超えるようになって


何か判断するとき、
誰かに声をかけようか、かけまいか
やっぱりやめようと線引きしていた。

自分で勝手に引いた線で、
勝手に自分を区切って
自分自身の足を止める。

ふとやめてみた。
声をかけようか、悩んでる時点で
かけたい心が少しでもあると思ったから。

通り過ぎる時に
この前〇〇でしたね、大変でしたね
そんな声をかけてみた。

そうだったんですよ〜
相手との会話が始まる。

もし、悩んで自分で線をひいて
止まっていたら、なかった会話だ。

この人のこと見過ぎじゃない?
干渉しすぎじゃない?
気にしすぎじゃない?

そんな心があってやめていた。

その線を超えた日。
他の人にもどんどん超えてみた。

心なしかいつもより声をかけられるようになった。

〇〇さん!

用事がある場合もあれば
単純に雑談だったり

私が引いた線は、
気づけば誰かの線にもなっていたのかも。
私が線を超えて
超える必要がなくなって
いつの間にか会話が始まる。

📦

箱の中に何が入ってる?
何も注文してないし、思い当たる節もない
開けてみないとわからない

線もこえてみないとわからない

超えてからの不安なんて、
超える前に考えることじゃない

そんな いちにち。

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