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#6 年末年始

新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

 そんな新年の挨拶という日本の文化がとても好きだと改めて認識した2023年の年始。

 初めて海外で過ごした年末年始。
 25日から30日まで家族が留学先に来てくれたので一緒にいろんな場所を旅行した。

 旅行を通して家族について、特に親について様々なことを考えた。
 一つは、親はいつでもいくつになっても気にかけてくれるんだなということ。少しでもお昼の時間が遅れたり食べれるところが見つからなかったりすると、「お腹すくから」と軽食を食べさせてくれたり、いつもは高すぎて買わない炭酸飲料などを買ってくれようとしたりした。また、家族がこっちに来ることに便乗して持ってきてほしい日本の食べ物及びグッズをリストアップして送っていたのだが、90L超えのスーツケースに30キロ詰めて超過料金を払ってまで持ってきてくれた。「そんなに!?23キロに収めてくれればよかったのに」と思ったのだが、嬉々として中身を紹介してくる母親を見て素直に有難かった。親と留学中頻繁に連絡を取っていたわけではない。でも常に気にかけてくれていたんだなということがわかる瞬間だった。

 もう一つは、「老いては子に従ってくれ!」ということ。旅行中、国内便を使って移動するときがあったのだが、その空港には溢れんばかりの人がいて、カウンターの前は長蛇の列となっていた。そういう手続き系は基本的に父親か兄が担当だったのだが、日本の航空会社との手続きならともかく、外国の国内便を使う、さらに海外にいるの何年ぶり??という人間だ、いつもしっかりしている家族が頼りなく見えた。このまま列に並んでいては絶対に間に合わないと思い、私が留学中の一人旅でしたオンラインチェックインとセルフラゲージドロップの方法を思い出し、QRコードを出したり発券したりバッグタグを出したりしてどうにか事なきを得た。両親が頑固であるというわけではない。私や兄が率先して歩けば親はついてきてくれる。ただ、未だに私は自信満々に地図と反対の方向へ繰り出すことがある。だから親にとって、もっともっと頼りがい・従いがいのある人間になれるよう成長したいと思った。

 そんな旅行から一夜明け大晦日。紅白も年末年始の特番も見ていないし、そういえば旅行中もずっとクリスマス飾りが残っていて、どこか年末感に欠ける、そんな大晦日。
 日本人の友人とすき焼きと年越しそば(持ってきてくれた荷物のうちの一つ)を食べて、フィンランド人の友人たちと年越しを過ごした。こっちの年越しは花火。いつもはシティセンターで花火が上がるらしいが近年はコロナだからなのか環境問題がどうたらなのか単に予算がないのか上がらない。その代わりに各自で打ち上げ花火を買ってどこもかしこもパンパンなってて、そのあとまた部屋に戻って友達とゲームしたりわいわいやって眠くなってバスを待って家に帰ってきて、、、
 楽しかったけど何か物足りない感じ。そんなもやもやを抱えて床に就いた。その正体がなんだったのかわかったのは翌日の夕方。またまた他の日本人と集まって次はお雑煮(持ってきてくれた荷物のうちの一つ)を食べることになった。その時にこの話の冒頭にある新年の挨拶をお互いすることになって、あぁこれだと。私に足りなかったのは新年の挨拶だったんだなと感じた。
 別に花火をしながらHAPPY NEW YEAR!とかあけおめー!とか言っていたけど、決定的に違うのは、人としっかりと向き合って頭を下げながら挨拶すること。年が明けたことに対して喜んだりおめでたく思うのもそうだけど、私が特に大切にしたいのは「今年もよろしく」というところ。「今年もいろんなことがあると思うし、お世話になったりご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが、1年間無事に過ごせるようによろしく頼みます」みたいな、そのことを深々とお辞儀して頼むような、そんな新年の挨拶がなんだか自分に合ってる気がすることに改めて気が付いた。そういえば海外と日本の挨拶は意味合いが異なるということを聞いたことがある。海外は「Good morning! Hyvää huomenta! いい朝を!」」「Happy new year! Hyvää uutta vuotta! 幸せな(よい)新年を!」なのにどうして日本語は「お早うございます」「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」なのだろうか。きっと調べたら出てきそうだが、今はしばらくこの文化の違いに身をゆだねありのままを受け止めていたいと思う。

改めまして新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。





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