僕が医者になるまでの道のり⑦ ~卒業試験の最中にハプニング!~

お久しぶりです、堀田です。
前回の「僕が医者になるまでの道のり⑥」の続きです。

就職先も決まったところで、次は卒業試験と国家試験です。

卒業試験は、出題パターンが大きく分けて3つあります。
一つ目は、国家試験対策を兼ねた出題、
二つ目は、その教授が得意としている分野からの出題、
三つ目は、国家試験の邪魔にならないような、つまり、誰でも解けるような出題、となっていました。

「誰でも解けるような出題」のひとつの例として、「実習の感想文を出す」というものがありました。
この出題の唯一大事なことは、締め切りを守ること、です。
精神科の卒業試験がちょうどこのタイプの出題で、そのため僕はレポートを出すことになっていました。
今でもよく覚えているのですが、精神科のレポートの締め切りは10月31日(金)の13時でした。

かねてから文章を書くのが苦手な私は、なかなか筆が進まず、「あーでもない、こうでもない。」と考えていたら、あっという間に締め切りの30分前になってしまいました。さすがにこれはまずい!と思い、小学生みたいな感想文をやっとの思いで書き上げ、大学の門の前にある寮から自転車に乗って全力で駆け出しました。

ちょうど実習で使っている白衣が自転車のかごに入っていたのですが、そのまま気にせず全速力で学内の道路を走っていたところ、目の前に人がいたため、追い越しました。その人を追い越した時、同じ寮に住んでいるパラグアイの留学生さんだと気づきましたが、急いでいたのでそのまま通り過ぎました。

その瞬間、風が吹き、白衣がかごから飛び出し、飛び出した白衣が前輪に絡まり、前のめりになりながら顔からアスファルトに突っ込み、顔面でブレーキをかけた状態で1回転し、うまく着地した後、ばたっと横に倒れてしまいました。
先ほど追い越したパラグアイからの留学生さんが、流暢な日本語で「大丈夫ですか?」と言いながら駆け寄って、助けてくれました。

自分でもかなりの衝撃でした。
転倒する瞬間は本当に時間の流れが変わって、すごくゆっくりだったことと、鼻~眉毛~額にかけての損傷が激しかったのに、痛みを感じなかったことがとても不思議でした。

パラグアイの留学生さんが救急車を呼んでくれたようで、間もなく救急車が到着し、タンカーで救急車内に運び込まれました。「医学部6年生です」と救急隊に自己紹介したところ、実習に通っている大学病院に搬送可能か聞いてくれることになりました。ところが、無線の向こうからは、何度も断る声が聞こえてきました。
そこで救急隊員の方が、「おたくの学生さんですよ!」とかなり強い口調で言ったところ、「まあ、仕方ないか」という声が無線から聞こえて来ました。

というわけで僕は、大学病院の敷地から大学病院へ救急車で運ばれることになりました。

当時、病院には救急窓口がなく、救急車を降りた後に倉庫みたいなところで待機していると、どこかで見たような外科の先生が来て、「やっちゃったね。念の為頭のCTでも撮るか。」と言いました。
寝たまま検査室に運ばれたのですが、僕はCTの機械で撮られることに少しトキメキを感じていました。「自分の脳はどうなっているんだろう?」と気になったりもしていました。

検査の終わりがけに、先ほどまで検査技師さんと外科の先生しかいなかったはずのモニタールームが、脳神経外科の先生たちで満員になっていました。
その中にいたクラブの先輩でもあり、すでに脳神経外科医として働いている先生がCTの結果を見て、「頭の骨が折れていて、頭の中に空気が入っているから、これから入院になります。絶対安静だから、ずっと天井を見ていてね。鼻水がいっぱい出たら教えてね(髄液鼻漏の兆候)。入院4日後のCTで空気が消えていなかったら手術になるから、よろしくね。」と説明してくれました。
それよりも僕は顔のけがが気になっていたので、「顔のけがはどうなりますか?」とたずねたら、「このまま外科に寄って、ガーゼでも貼っておこうか。」と言われました。

というわけで、外科で顔にガーゼを貼ってもらい、そのまま脳神経外科に入院することになったのでした。

結局、入院4日後のCTで脳内の空気は消えており、無事に1週間後に退院となりました。

提出しようとしていた肝心の精神科の卒業試験レポートはどうなったのかと言うと、実は覚えていないのです。でも合格したということは、きっと友達が代わりに提出してくれたのでしょう。
持つべきものは友ですね。           つづく

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