北海道から東京まで普通電車で帰宅してみた。【旅行記#1】
序文
開放感、旅への衝動、カネ
2022年2月。無事に修士論文の発表が終わり、私は大きな達成感と開放感に包まれていた。4月の入社まで法を侵す以外は何をしても誰にも言われない。さながら全能の神になったような気分だ。だが、この神は残念ながら「貧乏神」で、この資本主義社会における行動力となる“カネ”を持ち合わせていなかった。世の大学生たちは卒業旅行といえば奮発して海外へ行くことが多いらしい。伝染病のせいでそれも叶わなくなった今、海外に行けなくても何も恥じることはない。むしろ、国内を安く濃く旅したほうが得ではないか、と一当時は種の開き直りの境地にすら達していた。
行き先はレアに、旅費は安く
幸い時間はあったので、普段は行けないところへ行きたいと思っていた。しかし、輸送人数の少ないマイナー観光地へ行くには手段が限られているし、割引運賃の設定もないことが多い。鉄道の場合は乗り放題切符等があるためこの限りではない。今回はJRの「北海道東日本パス」に目をつけた。詳細はググってもらうとして、北海道〜東日本の在来線(18きっぷと異なり青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道区間も対象)が連続する7日間乗り放題となる。これを見たとき、「これで北海道まで往復できるのでは?」と思ったが、スケジュール的にかなわなかった。目的地にデンをついて帰ってくるだけの卒業旅行はさすがに味気ない。そこで、行きは泣く泣く飛行機で北海道へ行き、観光しながら在来線で帰宅するというプランを思いついたのである。もちろん飛行機はLCCだ。逆でもよかったかもしれないが、北へ行くにつれて電車の本数が減り、空港までの乗り継ぎ等を気にしながらの観光は心が休まらない気がしたのでやめた。ということで旅は2022年の3月1日から始まる。
3月1日
いざ、北の地へ
朝一番の飛行機で千歳を目指す。LCCなので朝8時に成田だ。寝坊したら終わり、京成に遅延されても終わりという点では旅は前日から始まっていたのかもしれない。決して高くはないものの、超えられなければ致命傷となるハードルを無事に超えチェックインを済ませる。その後もトラブルはなく、無事北海道の地に降り立つことができた。
電車旅の始まり
午前10時過ぎに空港に着いた。札幌方面へ行くならそのまま快速エアポートに乗ればよいが、いかんせん今回は逆方向、苫小牧方面を経由して函館を目指すことにしてしまっている。空港を早く出たとて一駅隣の南千歳で札幌方面とは逆方向の普通電車を待たねばならない。普通電車の乗り継ぎは意外とタイトで、終点に着いたからといって悠長に食料を調達する暇はない。
まして札幌以外のエリアではコンビニも駅前にあるかどうか怪しい。そのため腹ごしらえをすることにした。新千歳空港にはラーメン道場なるものがあり、道内の名店が並んでいる。営業時間は店によってまちまちで、訪れた時は半分ほどは開店前だった。並ぶほどの時間的余裕もなかったので比較的すいていた味噌ラーメンの店を選び、早めの昼食とした。
いざ、修行へ
腹ごしらえも済んだところで、長い長い家路につくことにした。上記の通り、南千歳ー苫小牧ー東室蘭ー長万部と乗り継いでいく。30分ほど空き時間のあった苫小牧で昼食を調達できるかと思ったが、駅付近にコンビニらしきものが見つけられず断念した。東室蘭からは学生の帰宅時間帯と重なり、最初はにぎやかな車内であったが、長万部に着くころにはふたたびガラガラとなっていた。途中さすがに空腹感が限界となり、長万部では必ず食事にありつこうと決心をしていた。いざ降りてみたものの、まだまだ感染予防が厳しい時世でそもそも飲食店は営業していないか、ランチ営業をしていたであろうところも15時半にはさすがに店じまいをしていた。
第一の目的地、函館
座りっぱなしで体はだいぶ固まってきたが、大きな遅延もなく無事に函館駅に到着。
疲れたので荷物を置くべくまずは宿へチェックインすることにした。市電を乗り継ぎ湯の川温泉のほうへ向かう。無事にチェックインを済ませ、いざ夕食だ、とは思ったが、また駅方面に戻るのは面倒だ。時間も遅いし、と悩みながらグーグルマップを眺めていると事前にリサーチしていたご当地コンビニ「ハセガワストア」が近所にあった。やきとり弁当でおなじみのお店である。これも店舗により営業時間がまちまちらしい。これもご当地コンビニらしい。幸い近所のお店は営業していた。無事やきとり弁当を調達し、風呂を済ませ晩酌の時間を始める。疲れもあってかいつしか眠りについていた。
3月2日
函館観光へ!
今日は1日観光することにしていた。函館に旅行するときは新幹線か飛行機のお世話になることが普通なので、せっかく通るのなら満喫しようと行程を組むときから計画を立てていたのである。
温泉街の宿なので、朝にもうひとっ風呂浴びてから市電で朝市へ向かう。市場に着いたが、コロナ禍の影響を差し引いてもどうにも活気がない。どうやら市場全体の定休日らしい。惜しいことをした。コロナ禍で観光客も少ない中市場をうろつけば、休まず営業している商魂たくましい市場の人間の格好の的となり、マシンガンのようにセールストークを浴びせられる。当時金欠学生だった私には対応しきれず、海鮮丼をかきこみ早々に退散してしまった。
市場を後にして、次は五稜郭へ向かった。市電の駅からもまあまあ距離がある。移動するならバスが最適なのだろう。JRの駅から向かう人はいないだろうが。
到着し、いざタワーに上ろうとしたが、自動ドアが反応しない。営業開始前だったか?よく見ると「臨時休館のお知らせ」。またやられた。仕方なく地上から眺めることにした。
五稜郭の周りや箱館奉行所内を散歩しているとお昼の時間が近づいてきた。五稜郭までの道中であるお店に目星をつけていたのでそこまで戻る。
ラッキーピエロでの昼食を終えたが、市場を早々に退散してしまったこともあり想定外の空き時間ができてしまった。その後の計画は函館山からの夜景を見て本州に戻ろうというおおまかなものしかなかったので、暗くなるまでベイエリアをぶらつくことにした。
そうこうしているうちに少しずつ暗くなってきたのでロープウェイで函館山を登る。到着してすぐはふぶいており、展望台にはとても長く滞在できる様子ではない。休み休み状況を観察し、天気の回復を待った。
無事函館でのミッションを終え、新幹線(オプション券使用)で本州へ。新青森を経由し青森駅のホテルにチェックイン。ここからは移動が続くのでサクッとシャワーを浴びて次の日に備える。
3月3日
目的地は仙台
早朝5時から活動開始。仙台を観光するにはこの時間に出発しなければならない。電車に揺られながら、ポッドキャストを聞くか本を読むか寝るか、みたいなことを気の向くままにずっと繰り返していた。眠かったので内容に関する記憶はほぼ残っていない。もったいない。
と、一ノ関までは順調に来ていたのだが、次の小牛田までの区間でトラブル発生。強風による減速運転で乗り継ぎに失敗してしまう。小牛田で1時間ほど待機させられた。3路線が乗り入れるそこそこのターミナル駅だから飲食店くらいあるだろうと思っていたが、14時過ぎの到着であったためランチ営業はことごとく終了していた。最寄りのコンビニは徒歩10分。遠いと感じた自分はもうすっかり都会の人間だ。
小牛田での待機を乗り越え無事仙台に到着。本当なら1時間早く着けたのにと恨み言を言っても仕方ないが、もう日が傾き始めていた。夕食には少し早かったので散歩してみた。仙台城は明るいうちに観光しようと思っていたのでお預けに。ライトアップも趣があるらしいが、寒い夜中に一人で城まで繰り出すほどの体力は残っていなかった。さっさと夕食を済ませホテルの風呂に入って寝ることにした。
3月4日
いざ、東京へー
ついに旅の最終日である。仙台から東京へ。新幹線なら2時間もかからない道のりだが、在来線で移動しようとすると途方もない時間がかかる。ルートは2つあり、新幹線に沿って走る東北本線か、海沿いを走る常磐線。東北本線は通勤・通学に多く使用されていて混雑することもあるそう。なおかつ1編成の走行区間が短く、頻繁に乗り換えなくてはならないため、今回は常磐線を使用した。常磐線は震災で壊滅的な被害を受けたが、2020年に全線で運行が再開され、立ち直りを図る沿線の風景を目に焼き付けておきたい、という思いもあった。
勿来の関を越えるといよいよ首都圏に突入である。水戸までくると都内まで1本で行けるような電車も出てきて、家に帰れる安心感を抱き始めた。水戸で昼食がてら観光を、と思い下車しバスで偕楽園へ。観梅の時期なら電車が止まってくれると思っていたが、どうやら土日祝日だけだったらしい。
水戸観光を終え、常磐線で都内へと帰る。卒業旅行第1弾はこれにて終了である。
総括
半分以上は移動していたような気がするが、車窓を眺め、風景の変化から日本各地に根付く文化・歴史の一部を感じるのも悪くない。そう感じた旅だった気がする。長時間移動で体力を消耗していたのか、後半へ向かうにつれて記録や写真撮影が雑になっていく様子が手に取るようにわかるのも面白い。ほぼ通過するだけで終わってしまった青森・岩手・福島も訪れたい場所はたくさんある。コロナの規制も解けたし、いずれ再訪してみたい。
続編はこちらから↓
続編へのご期待、ありがとうございます! いただいたサポートは旅費の足しとして宿・現地での飲食・交通手段に使わせていただきます。その内容も記事にしますので楽しみにして待っていてください。