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エミーナの朝(18)

記念旅行 7

 二人でおしゃべりしていると、突然、空が震えるような音がして、花火の打ち上げが始まった。
 湾に長く突き出した堤防から、次から次へと打ち上げられる。
 煌く光点が色を変えながら菊華状に広がり消えてゆく。それが湾の海面に映り万華鏡のようである。
 エミーナ「すてきー光の中にいるみたい」
 ナゴン「うわぁー火のシャワーね!」
 エミーナ「素晴らしいわ。夫も喜んでるわ」
 ナゴン「ん? お父様の間違いでしょ?」
 エミーナ「あっ、そうそう、間違えちゃったー。あははは」

 ナゴン「こうしていると、なんか、わたしとエミリンの記念旅行みたいね」
 エミーナ「そうだね。お父様が聞いたらどんな顔をするかしらね」
 ナゴン「金返せーっていうかもね」
 エミーナ「きっと、あそこで、くしゃみしてるわよ」 
 旅館の窓を振り返り二人とも笑った。

 おしゃべりと花火に夢中になっているうちに、ふっと静かになり、暗い海岸に潮騒が響き始めた。賑やかかった打ち上げ花火が終わった。見物客が散り始めた。

 旅館の部屋に戻ると義父は酔っ払って高いびきであった。
 二人で義父を支えて、義父の部屋に帰そうとした。
 すると義父は急にしっかりして「エミーナさん、大丈夫だよ」と言って、ナゴンだけに支えられて、自分の部屋に帰っていった。
 義父を支えるナゴンは少し恥ずかしそうに下を向いていた。だから、ついてはいかなかった。

 わたしは一人で出窓の椅子に座って、ビールを飲んでテレビを見ていた。
 仲居さんが来て、膳を片付け、二人分の布団を敷いて帰っていった。

 ナゴンは、予想通り、この部屋には戻ってこない。
 わたしは眠たくなった。とろんとした目でスキンケアし、歯磨きを済ませて布団に入った。
 簡単に寝てしまった。

 物音で目が覚め、眠い目を開けた。ナゴンが戻ってきていた。
 ナゴン「あ、起こしちゃったかな。ごめんね」
 わたしは寝ぼけたようにして「……うん」と言っただけ。
 ナゴンはそのまま布団に入って寝てしまった。
 女として満足したナゴンの顔を、そっと確認して、わたしも再び眠ってしまった。

 ふたたび目が覚めた。
 「ナゴンさんが起きてるよ」と夫の声がしたからだ。勿論、頭の中でである。

 明け方のようである。がまだ薄暗い。ナゴンは出窓に腰掛けて暗い海を見ていた。
 顔の表情は分からないが、まるで誰かに語りかけ泣いているように見えた。
 声をかけようとして口をつぐんだ。ナゴンの想念を邪魔するのは良くないと思ったからだ。

 ナゴンを後ろから見つめ、気持ちを想像した。
 義父の部屋から戻ってきた時は、満足そうな顔をしていたのに、どうしたのか。

 やっぱり聞いてみよう。
「ナーチン、おはよう」と起き上がって声をかけた。
 ナゴンは、あわてて指先で目の下をなぜてから、「あ、エミリン、おはよう」と笑顔で応えた。
 エミーナ「ナーチン、どうしたの。お父様と何かあったの?」
 ナゴン「あっ、いえ、コーちゃんとは何でもないのよ。ちょっとね、色々、昔のこと思い出しちゃって。気にしないで」
 エミーナ「そう……安心した」
 ナゴンには、今まで、わたしは色々と気をつかわしてしまった。
 ごめんねナゴン。わたし、わがままで、自分のことばかり気にしてて。
 女が一人で生きていくことは、やっぱり辛くてさびしいわよね。
 それをナゴン自身が体験して分かっている。だからこそ、ナゴンはわたしの素晴らしい親友になってくれたに違いない。
 エミーナ「ナーチン、あなたには、何かと救われてる。ありがとう」
 ナゴン「なによ、急に改まって。それを言うなら、わたしこそ、あなたに救われてるわよ。今回も、わたしに突き合わせちゃって申し訳ないわ。ありがとう」
 エミーナ「そう言ってくれると、本当にうれしい。ありがとう」

 なぜか急に思いついて、夫のことを打ち明けようと思った。
 エミーナ「わたしの中に夫がいるの」
 ナゴン「わかっているわよ。大切な人だものね。旦那様との沢山の思い出がいっぱい詰まっているのよね」
 エミーナ「そうじゃなくて、わたしの頭の中に、今、生きているの」
 ナゴン「そうよね。愛するゆえに、そんな風に感じてしまうのよねえ」
 頭の中の夫が「おいおい、ナゴンさんは信じていないよ。ぼくのことは無理して言わないほうがいいよ」
 わたしは黙って、ナゴンと一緒に湾を眺めた。

 しばらくして、ナゴンは、海を見ながら話し始めた。
 ナゴン「わたし、今、変な想像しちゃった。わたし自身、エミリンの中に住んでるんじゃないかって!」
 わたしはドキッとして、ナゴンの横顔を見つめた。何か言わなくちゃと思った。
 エミーナ「じゃあ、逆に、わたしこそ、ナーチンの中に住んでいるのかもよっ!」
 ナゴン「あはは、やめて、それは無理。さわがしくて頭が痛くなるぅー」
 ナゴンの痛そうな顔に、わたしは笑ってしまった。
 わたしは更にたたみ掛けた。
 エミーナ「でも、互いに相手が自分の中に居たら、その中にまた自分がいることになるわね。更にその中に……あれれっ、わたしたち無限に増えちゃうわ!」
 ナゴン「それは、やばいわねぇ。でもね、そうやって心の中に相手を持っているのかも。そして勝手に相手を解釈して安心や不安を感じているのかも」
 エミーナ「ふーん、わたしには分からないわ」
 エミーナの中の夫が「ナゴンさんは鋭いね。ぼくは君エミーナの心の中に住んでるからねっ」とつぶやいた。
 心の中で、エミーナ「うるさいわね。黙ってて!」

 ガラス窓を開けると磯の香りが部屋に漂う。空が一層明るくなってきた。海上には漁港から出てきた多数の漁船が沖へ向かうのが見える。
 湾上の雲が輝き始め、その下で色んなものが動き始めたのが見える。
 ナゴンとわたしは「これからも、よろしくお願いいたします」と見つめ合いながら挨拶を交わした。

エミーナのホーム/エミーナ

 夫「ぼくも、よろしくっ!」
 エミーナ「勝手にしゃべらないのっ!」
   [エミーナの朝  完]

(エミーナの朝 後書)

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