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生涯教育の位置付けが変わる?福井大学の学び直し講座から考える、学び続けなければいけない時代の生涯教育。

新型コロナウイルスが流行ったことで外出する機会が減ったためか、いよいよ「人生100年時代」という認識が世に広まってきたためか、以前より生涯教育に関わる取り組みを目にすることが増えてきたように思います。私自身こういう取り組みがすごく好きでよく調べるんですが、なんとなく押し出し方が変わりつつあるのかな、と感じるところがあります。今回、見つけた福井大学の講座もそんな変化を感じさせる講座の一つです。

福井大学の講座は、DX化が進むなか、それに対応できる専門的な人材の育成が追いついていないという認識のもとはじまったようです。講座は2ヶ月間で計152時間とかなりボリュームがあり、補修用のオンラインコンテンツも準備されるとのこと。募集人数は30名と限られていますが、なんと受講料が無料なんですね。ここまでやってくれるのは、ほんとありがとうございます!という感じです。

この講座が生まれたきっかけであるDXであったり、Society5.0であったり、AIであったり、ビッグデータであったり、気づけば私たちの周りに耳馴染みのない言葉がたくさん溢れています。しかも、どうやらこれらがこれからの世の中を大きく変えていくと言われています。こういった社会が変わろうとする予兆をびんびんと感じられる世の状況が、生涯教育の意味合いを、一部ではありますが微妙に変えてきているように思うのです。

これまでの生涯教育を推奨する基本的な文脈は、人生に対するプラスαで、今の人生をより良くするために、またはより楽しくするために、新たな知識やスキルを身につけましょうというものだったように、私は受け取っています。でも、昨今のDX等の講座は、足らない、とか、これからは不可欠な、とか、そういった文脈で説明される場合がとても多い。私がまさにそうなのですが、文系ど真ん中を歩いてきたものとしては、こういった文章を見ると、何かやばいぞ、知っといたほうがいいのか?という、ざわざわとしたものを心に感じてしまいます。

繰り返しになりますが、これまでの生涯教育の表現が“1に何かを足す“というものだったのに、今のDX等の講座は、あなたは“1になっていない”と訴えかけているように感じるのです。こういった脅しの文句が悪である、ドキドキするから勘弁してください……、と言いたいわけではありません。どちらかというとその逆で、こういう文脈が増えると、生涯教育を受ける人は増えていくのかも、と思うのです。

というのも、日本の特徴としてよく言われているものの一つに、同調圧力が強いというのがあります。これまでの生涯教育の“あなたは他と同じぐらい満ち足りているけど、さらに上をめざしましょうよ”というメッセージは、精力的な人にしか響きません。“他と同じぐらいでいい(ないし、がいい)“という圧倒的大多数の人を動かすうえで、“あなたは他と同じじゃなくなるかもよ”というのは、だいぶ効くんじゃないでしょうか。そして、これは単に広告表現上のテクニックなわけではなく、遠くない未来に、本当にそうなってしまう可能性があるわけです。

ITリテラシーが高くない私としてはビクビクしますが、生涯教育に興味がある私としてはワクワクしています。学び続けないといけない世の中が、まさにすぐそばまでやってきています。その中で大学がどんな役割を担っていくのか、これからも注意深く見ていきたいです。

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