お酒の話

私の祖父はアルコール依存症だった。だった、というけど、多分今もそうだ。

若い頃から、時折お酒に溺れては仕事に行けない期間があったらしい。私が物心ついてからも定期的にその期間があった。両親が共働きだった私は小学校の放課後、祖父の家で親の迎えをいつも待っていた。真っ赤で顔の筋肉が弛緩した祖父を見ると、「またおじいちゃんが元気のない日だな。」と思っていた。部屋に漂うアルコール臭と、自堕落な人間の臭いが混ざった部屋の空気は、まだ深く物事を知らない私にも何となく嫌な気配を感じさせた。

この間ふと思い出した光景がある。それは夏休みにプールから帰った私に祖父が茹でてくれた蕎麦と、横に積んである何週間分かの新聞の山。蕎麦と言っても泥酔した祖父が茹でたもので、充分に湯に浸かっていなかったせいで上半分が乾麺のままで、醤油がかけてあって、美味しいとは言えなかった。少し食べてお腹いっぱいになってしまって、それでも残すのが忍びなかった私は、祖父が飼っていた雑種の犬に食べさせた。犬もすぐに飽きてしまって、残った蕎麦をどうしようかと頭を悩ませたのを覚えている。

こうして文字に起こすと何だか悲惨な思い出のようだけど、その時の私は大して何も感じていなかったような気がする。しかし、何となく祖父と自分の母が怒鳴り合いをしているのは怖かったし、母がその後泣いているのは悲しかった。

私が高校生になった頃には、よく私の家族は祖父抜きで話し合いをするようになった。叔父夫婦が来て楽しく食事をした後は、深刻そうな顔で大人達がダイニングに篭って出てこなくなるのが常だった。何となく空気を察しては7つ下の妹を連れて別の部屋に行っていた。

後から聞いた話では、この頃祖父は飲酒運転で事故を起こし免許を剥奪されていた。雪道のガードレールにぶつかったまま車の中で寝ていたそうだ。呑気なものだ。

そんな幼少期を過ごした私は、何となくお酒は嫌なもので、人を狂わせるものだと思っていた。

大学に入って初めてお酒を飲んだ時、私が怖がっていたのはこんなに甘くてジュースみたいなものだったのか、と拍子抜けした。確かカルピス酎ハイだったと思う。

それから4年間、たくさんお酒を飲んだ。色んな飲み会をして、色んな仲間と語り明かした。お酒を飲むと、みんないつもより少し大胆になって、歯に絹を着せずに話してくれるのが好きだった。

もちろん痛い失敗もたくさんある。次の日の朝に後悔することも、誰に謝っていいか聞くところから始まる朝もあった。酔い潰れた友人に罵詈雑言を吐かれながらトイレで背中をさすったり、「もう二度とお酒は飲まない」という安い決心をした日もある。

それでもお酒は私の4年間を楽しく彩ってくれたと思う。鴨川で飲む缶酎ハイや、祇園祭の錦市場で飲む日本酒、木屋町のバーで背伸びをして飲むカクテルが好きだった。4年間が終わる頃には、祖父に植え付けられたお酒への恐怖はすっかり薄れていた。

そして今日、会社で嫌なことがあった私は家に帰ってすぐ冷蔵庫の赤ワインを流し込んだ。部屋に刺す夕焼けの綺麗さと喉を焼く赤ワインはあまりにもミスマッチだった。楽しく浮つくどころか余計に気持ちが沈んだ。私が大好きだった赤ワインはこんな味ではなかったはずだった。

祖父は美味しいからお酒に溺れていったわけではないのだな、とそのとき気づいた。きっと私には分からない心の闇があったのだ。お酒で気持ちのピントをずらさなければ、目を逸らしても嫌でも見えてしまう闇が。

その闇が今日の私には少し見えた気がする。



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