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#83 AIの台頭による「ライターオワコン論」へのささやかな抵抗

先日、AIに関するあるセミナーを受講しました。その場で、音声配信からメルマガ原稿を作成する過程をリアルタイムで目にしたのです。私はこれまでAIの文字起こしぐらいは使ってきましたが、実際に原稿を整えるところまですべてAIでできてしまうことを目の前で見せつけられ、大きな衝撃を受けました。

その後の質疑応答で、私はこんな質問をさせていただきました。
「私は文字起こしの記事化を得意とするライターですが、今後、ライターの仕事はどうなっていくでしょうか。AIを使って積極的に仕事をすべきか、それともAIの苦手な部分に特化していくべきでしょうか」と。

そこで返ってきた答えは、私にとってはかなり無慈悲なものでした。
「はっきり言って、どちらもムリゲー。これまでのような仕事を請け負う形のライター業は早めに見限った方がいいよ」

この答えを聞いて、私の中で著しい「認知的不協和」が起こったんですよね。いわゆる、自分にとって都合の悪い情報に出会ってしまったので、なんとかして自分の都合のよいほうに持って行こうとする心の働きです。

だって、これまで「物書き一筋」でやってきたアラフィフに、いまさら新しい仕事をしろとか、ライターを見限れと言われても。むしろそっちのほうがムリゲーだよねって…。

ということで、この「Webライターオワコン論」に対して、私なりにささやかに抵抗してみました。

1.逃げ切り可能論

大前提として、イケハヤさんが述べているのはこの先、20年、30年先の未来の世界であろうかと思われます。たとえばイケハヤさんは既に10年くらい前から仮想通貨界に参入していますが、現在でもリアルな知り合いで仮想通貨を触っている人はほとんどいないのではないでしょうか。それくらい、イケハヤさんは常に時代の先を読んで行動しているんです。

一方で、確かに世の中の人すべてがAIを使って記事執筆をするようになれば、ライターのかなりの仕事が脅かされることでしょう。でも、たとえAIがあっても、みんながそれを使いこなせるとは限らないのです。

現に2024年現在、病院のWeb予約ができない老人たちの存在が問題となっているように、たとえ技術があっても使いこなせない人はある程度存在します。そこにまだライターの需要は残されているのではないでしょうか。

さらに、今後のWebライター界全体がどうなるかはわかりませんが、ぶっちゃけ、今40代の私があと10年か20年?、月●万円程度の収入をほそぼそと得ていく程度であれば、それくらいの市場はまだ残り続けるんじゃないかなと思います。要は、私個人としては逃げ切り可能だろうともくろんでいるわけですよ。

2.イケハヤさん宇宙人論

もしも、 世の中の発信者がすべてイケハヤさんだったとしたら、はっきりいってライターの仕事は終わると思います。でも、幸いなことに、世の中はイケハヤさんのような規格外の「宇宙人」ばかりじゃないんですよね。

私は過去にイケハヤさんの音声配信をブログ化するお手伝いをしたことがありますが、イケハヤさんはしゃべる内容の論点が非常にはっきりしており、細部を整えればほぼそのまま原稿になってしまうという特徴があります。たとえ途中で話が脱線しても、しっかりと元のところまで戻ってこれますし、あるいは、なんなら脱線したその先で新たな持論を展開できたりもしてしまうんです。

これが普通の人だと、論点がぐちゃぐちゃだったり、何が言いたいのかわからなかったり、中身がなかったりして、とてもそのままでは原稿にできません。そんな配信をAIで記事化したとしても、一体どこまで整えることができるのか疑問ですよね。

3.やっぱり人がいい論

もし、「AI添削」や「AIインタビュー」というサービスがあったら、あなたは利用したいと思いますか? 正直、これは答えが二極化すると思います。早くてやすくて手軽にだからいいんじゃない?という人と、いや、やっぱり人に見てもらいたいという人にです。

Webライターラボではほぼ毎週のように添削会が開催されています。講師の先生たちは時に厳しいことも言われますが、根底に「この人に上手になってほしい」という思いが感じ取れます。だからこそ、添削された人も批評を素直に受け入れられるのではないでしょうか。

また、インタビューをされるにしても、目の前に人がいて、一生懸命自分の心に寄り添おうとしてくれるからこそ、自分も本音で語りたくなるのだと思います。

現に今、回転寿司屋では握り寿司ロボットが普及していますが、その一方で、板前さんに目の前で自分だけのために寿司を握ってほしいという需要は必ずあるわけですよ。

つまり、これからの時代は「人がその作業をする」ことが一種のステータスになってくるのではないかとも思うのです。

まとめ

ということで、このたび私が出した結論は、「たとえオワコンと言われても、私はライターを続けるぜ!」というものです。

そのためにも、「この人に書いてもらいたい」と思われるライターにならなくてはと思う今日このごろでした。


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