【「他人」で「私」を武装してしまう症候群】


「私」の意見なのに、「みんな」の意見にしてしまったり、勝手に「他人」を巻き込んで話してしまうことありませんか?

僕はあります。

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先日

「ちゃんと掃除せんか!会員みんなが迷惑しとるじゃろ!」

とジムのスタッフに怒るおじさんがいました。

「みんな」の意見やなくて、おじさんという「私」の意見やない?

ジムが綺麗に越したことはないけど、自分の意見を言うために勝手に「みんな」の意見にするのは何かセコくない?

と、ふと思うわけです。

とかくいう僕も、同じようなことをしてしまうんですが・・・
ついつい説教臭い目上の人に会うと、面倒くさくなって

「若者らしく」

なんて言ってしまう。若者はもちろん僕だけではないのに、若者代表然で話すわけです。
(ただ皮肉にも、わざわざ自分の意見をいうよりも、漠然と「若者らしく」と言った方が話相手が満足していることが多々あります)

「みんなって誰?ほんまは、おじさんのジム友だけやない?」
「若者って誰?24は若者?40でも若者扱いされる人もおるやん?」

と鬱陶しく掘り下げれば、対象が誰が誰だかわからなくなってしまう。

でも、このような漠然とした言葉には、なんだか説得力があるような気がして。

主語をぼかすと意味がなくても、意味があるように感じてしまうのかなぁと思います。

そして、その最たるものの1つが、「社会人」という言葉なのかなと。

「他人」で「自分」を武装しない。そんなことを気を付けられればとジムの更衣室で思いました。

力こそパワー!!!

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