胡乱紳士 漫遊編 ドブヶ丘に降る雪
ドブヶ丘に降る雪も濁った色をしているけれども、雪が積もったときばかりは町の汚さが隠される気がする。たとえ中身が変わらないのはしっていても、少しだけましに思えて、ギンジはこの季節が好きだった
もちろん寒さをしのぐ建物か、せめて壁があればの話だが。ギンジは身震いをすると、酒瓶を取り出し、ふたを開けると中身を惜しむようにちびりと舐めた。生臭さと錆び臭さに顔をしかめて、それでも飲み下すとカッとお腹の中が熱くなるのを感じた。
酒瓶を振るとちゃぷちゃぷと心もとない音がした。昨日まで使っていた段ボールハウスを暴漢に強奪された今となっては、ギンジの持っているただひとつの持ち物だ。
命の危険を感じ、歩き始める。動いてさえいれば、眠ることはないだろう。雪の降り続ける町をただただ歩く。右足を出し、左足を出す。その次には右足、左足、右足。寒さに削られていく意識を、その動きだけに向かわせる。
ときおり、立ち止まり酒瓶をあおる。
いっそひと思いにあおって、眠りに落ちてしまえば、安らかな気持ちのまま永遠の眠りにつけるのではないか、などという思いが頭をかすめる。弱気をふりはらい、再び歩き始めようとしたところで、道端になにかがうずくまっているのに気がついた。
近づいてみると、それは少年だった。着ているボロは、かろうじて服の形を保っているといった様子で、ずいぶんとそうしていたのか、肩と頭には雪が積もっている。
「おい、大丈夫か?」
ギンジが声をかけたのは善意のためだけではなかったかもしれない。みすぼらしい死体でも何かしら使いようはある。
「ええ」
少年は顔をあげギンジに答えた。寒さに朦朧とした意識ではほっとした気持ちと残念な気持ちをみわけられなかった。
「こんなところで寝てると死んじまうぜ」
言われて少年はきょとんとした表情でギンジの顔を見つめた。
「ありがとうございます。お兄さんは優しい人ですね」
「んなことはねえよ」
ギンジは答え、少しためらってから酒瓶を差し出した。
「飲むか? 美味くはないが」
少年は酒瓶を受けとると、少しだけ舐め、顔をしかめた。
「ありがとうございます。助かりました」
「それは良かった」
「お兄さんはなにを?」
「歩いていた」
「どこへ?」
「どこかってわけじゃない。ただ歩いてた。そうすれば眠らないですむから」
「なるほど、そうかもしれませんね。僕もついていったよいですか?」
少年の申し出を断るほどの気力も理由も、ギンジは持ち合わせていなかった。
◆◆◆
「それじゃあ、突然奪われたのですか? 」
「あぁ、帰ってみたら知らない男が寝ていてな、起こしたらぶん殴られて追い払われた」
「そんなひどいこと!」
「まぁ、良くある話さ」
つれづれと身の上話をしながらギンジと少年は雪の夜を歩く。一人で歩く道よりも足が軽いように感じた。
「殴り返さなかったのですか?」
「そりゃ…殴り返したさ。でも…殴った以上に殴られればどうしようもない」
「そんなもんですかね」
「そんなもんだよ……お前だってそうだろ……あんなところにいたってことはさ」
「まぁ、そんなとこですね……あれ?」
ふいに少年は立ち止まり遠くを指差した。
「……どうした?」
「あそこに明かりが」
少年の指す先を見ると確かになにか明るいものが揺らめいている。
「あれは?」
「いってみませんか?」
ギンジが頷くと、少年はギンジの手をとり歩き始めた。
少しして二人がたどり着いたのは違法バラックの隙間だった。何かの残骸を囲み小さな広場ができている。その広場の片隅で二人のが焚き火をしていた。ともに腰の曲がった老人で、あちこちに穴が開き汚れのこびりついた警備員の制服を着ていた。
「あの、すみません」
ギンジの言葉に二人は顔をあげた
「どうされました?」
「え、あの」
思いの外はっきりとした声で返され、ギンジは言葉につまる。それを見て少年が言葉を継いだ。
「もしよければ、火に当たらせていただけませんか?」
少し緊張したような少年の言葉に老人の片方が破顔して手招きした。
「ああ、そんなことか。かまわないよ」
◆◆◆
焚火のぬくもりがギンジの凍えた両手を溶かしていった。
「昔はこの辺りに大きな屋敷があってね。そう、ここのこの瓦礫も昔は門番の詰め所だったんだ」
「そんで俺たちはそこで門番をやってたんだ」
老人たちは案外愛想よく話続けている。
「今じゃ、もう門なんてないんだが、なんか離れられなくてよ」
「冬なんかはここでこうして火を焚いてると、誰かしら当たっていってくんだ」
「で、ときどきなんか礼をくれたりしてよ。そんなでなんとか生きてるんだ」
なあと老人たちは顔を合わせて笑いある。それを聞いてギンジは気まずそうに酒瓶を取り出した。
「少ないですが、よければ」
「そんなせびったつもりはないんだが」
「いやいや折角くれるっていうんだ、断るのも悪いだろう」
「それもそうだな、いや、いただきます」
言って二人は瓶を受けとると交互に一口ずつ飲んだ。
「やっぱり酒はよいなぁ」
「いや、ありがとう。ほらもっと日に寄りなさい。背中をあぶると温まるぞ」
機嫌のよくなった老人たちに促され、ギンジと少年は火に近づき背中を暖めた。長い雪道に凍えた体が少しずつ溶けていく。
「寝ても構わないよ。そうして背中をあぶっていれば凍え死にはしないはずだ」
「なにか来たらわしらが追い払うから安心なさい」
「いえ、そういうわけには……」
ギンジは返すが、一度眠りを想像しまったまぶたは重さを増し、いつしか耐え難いまでの重さになっていった。
◆◆◆
ギンジが寝入ったのを確認して
「そろそろ寝たかな」
片方の老人が言った。
「あわてるなって」
もう片方の老人はそっとギンジの肩を押した。
「大丈夫だな。鉈とってくれ」
最初の老人は瓦礫のなかから二振りのドブ鉈を取り出した。二人はゆっくりとギンジに近づく。
「お兄さんを殺しちゃうの?」
それを見て、少年が目を開き、尋ねた。
「お酒もらったでしょ?」
「あれぽっちじゃ薪代にもならない」
片方の老人が吐き捨てるように言う。
「ぼっちゃん、わしらも殺したくて殺すんじゃないんだ。こうでもしないとわしらが生きていけないんだ」
「わかったよ」
老人たちの言葉に、諦めたように少年は言う。
「そうかい」
それを聞いて老人たちはホッとした表情を見せた。
「もし今逃げるなら、追わないぞ。こいつを捌かないといけないからな」
少年は少し考えて
「お世話になったし、そういうわけにもいかないかな」
と答えた。
「じゃ、そこで寝てな。できるだけ苦しまないようにしてやるから」
「せっかく親切にしてもらったのにな」
◆◆◆
ギンジが寒さに目を覚ますと、焚き火はすっかり小さくなっていた。
「おはよう」
火を弄りながら少年が言った。もうだいぶ小さくなっているが、まだぬくもりは残っている。
「おはよう」
ギンジは伸びをしながら挨拶を変えず。雪はもう止んでいた。
「おじいさんたちは用事があるってどこかへ行きましたよ」
見ると昨夜彼らが座っていた辺りに制服とドブ鉈が落ちている
「もういらないんですって。よかったら使ってっていってましたよ」「へぇ、そうかい。それはありがたいな」
制服は胸に大きな穴が開いていたが、寒さをしのぐには充分だ。
「優しい人もいるもんだ」
「……そうですね」
少年は立ち上がる。
「では、僕はいきます」
「どこへ?」
「さあ、どこかへ」
「そうか、気をつけてな」
「お兄さんも」
少年を見送ってギンジは軽く伸びをした。
「おれもどうするかな」
しばらく残り火にあたりぼんやりとする。懐に手をやったところで酒瓶がないのに気がついた。あたりを見回すが見当たらない。
「まあ、いいか」
ギンジは立ち上がり、歩き始めた。朝日に照らされ、積もった雪が白く輝いていた。
【おしまい】
復刻サルベージシリーズ
胡乱紳士は昔どこかのパルプ雑誌で連載されていたやつの再掲ですね。どこか後ろぐらい空気が好きでした。
最近こんなのが発見されたのでそっちも紹介しておきます。
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