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マッドパーティードブキュア 209

 闇の中に煌めく、赤錆の斧のきらめきを見ると、不思議と恐怖は消え去った。ただ、そこにメンチがいるという確信だけが、胸の内に生じた。
 領域を伸長する。暗闇の中へ。
「テツノさん」
 セエジの声が聞こえる。だが無視する。
 荒れ狂う暗闇の中へ感覚を伸ばす。存在がかき消されそうになる。暗闇が混乱しているのが伝わってくる。赤錆の斧を目指す。
「メンチ」
 混乱は収まらない。動揺して、暗闇の乱動は激しくなる。
「大丈夫だよ」
 抱きしめるように、大きく暗闇の領域を包み込む。暗闇は暴れまわる。いつかと同じだ、そんなことを思う。ドブの雨、狂乱の夜。思い出す。あの時荒れ狂う二人を抱きしめたのは、お母さんだった。あの時のように、あの時のお母さんのように、暗闇を、メンチを抱きしめる。
 次第に、ゆっくりと不規則に膨れ上がっていた暗闇は落ち着き始める。
 最後にただ丸っこい暗闇だけが残った。
「メンチ」
 呼びかける。
「テツノ?」
 返事が返ってきた。安定しない声だった。けれども、たしかにその声は、メンチの声だった。
「どうしたの? その恰好」
「わかんない。こうなっちゃった」
「そうか」
「どうしよう」
 懇願するように、メンチの声が言う。
「大丈夫だよ。私は、こんなになっちゃったけど、何とかなってる。メンチも大丈夫」
「本当に?」
「本当だよ。一緒に行こう」
「一緒に?」
「うん、一緒に」
 そう言って、手に密度を集めて、暗闇へと差し伸べる。ザラザラとした斧の柄の飾り紐に触れる。そのまま手を進める。柔らかなものに触れる。暖かなやわらかさ。それを握りしめる。慣れ親しんだ感触。
「メンチ」
「テツノ」
 柔らかな手がテツノの手を握り返す。
 闇が収束する。メンチが纏っていた暗闇だけではなく、洞窟を満たしていた、ねっとりとした闇も全て、斧に吸い込まれるよう集まってくる。
 闇の中に人影が立っていた。
 人影の顔を見て、テツノは笑う。
「おかえり、メンチ」

【つづく】
 


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