【連載版】コッペリアの末裔 vol.8 力による操縦
機械の動作は思いのほか素早かった。向きを変えないまま四本の車輪付きの脚を駆動させ、器用に記録媒介の山の一つを迂回すると障子に向かう。映像の映った障子。
逃がせない。
考えるより先に体が動いていた。担いでいた無人機を機械に投げつける。
「うわぁ!」
命中。
機械はやけに人間臭い悲鳴を上げて、バランスを崩す。記録媒介の山が音を立てて崩れる。隙を逃さず飛び掛かる。マニピュレーターを掴む。
「なんだ! お前は!」
機械は体勢を立て直し、残ったマニピュレーターが殴りつけてくる。精密作業用のマニピュレーターからは、それほどの痛手は受けない。刃物にだけ警戒する。先端を避けて腕で受け止めつつ、機械の下部を掴む。
持ち上げる。重たい。が、持ち上げられない重さじゃない。脚が効かない高さまで持ち上げて、自分の脚を機械の脚に絡める。痛みを感じない機械でも、初動を潰せば動きを封じられる。
「そんなバカな!」
「さっき、クロエって言った?」
私の方に向けられたカメラアイが何を言おうと揺れる。
「とりあえず、おろしてくれない?」
機械が言った。
◆◆◆
「それで、なにがききたいの?」
機械がマニピュレーターを動かして、損傷の有無を確かめながら尋ねてきた。
「ええと、まず、あなたは誰?」
「わたし? わたしは、あー」
私の質問に機械は視線を逸らすようにカメラアイを回した。しばらく黙り込んで障子に映したままになっている映像を見つめた。映像の中で白衣の男が何かを担いで穴の中に入っていった。
「あの」
「ああ、わたし? わたしは……まあ、ハカセとでも呼んでよ」
ハカセ。奇妙な名前だ。昔の教師の呼び名だっただろうか。
「うん、この辺でモグリの機械医者をやってる」
「専門は?」
「アンドロイドでも、サイバネでも、無人機でも、なんなら情報体でも、なんでも」
ハカセを名乗る機械はどこか誇らしげに言った。聞き流す。それはどうでもいい。この機械が何をしているかよりも、気になることがある。
「さっきクロエって言わなかった?」
障子に視線をやる。無人機の残骸は隣の部屋に置かれている。
「ああ、あの無人機」
ハカセはマニピュレーターにオイルを差しながら答えた。反対側のマニピュレーターに握って精密ドライバーでネジを締めなおした。
「この図体だと出歩くのも大変でさ。お使い用に作ったんだ」
「あなたが作ったの?」
「いや、どこかのジャンク屋で売ってたのを改造した」
「どこのジャンク屋?」
思わず身を乗り出す。ハカセはわずかに身を引く。
「さあ、どこだったかな……覚えてない」
「そんなはずはないだろう」
機械が何かを忘れることなんてあるだろうか?
「こう見えても脳みそは生身だからね。忘れることはあるんだよ。この間なんか……」
少し、驚く。ハカセの外見は完全に機械だから、生身の部分があるなんて想像もしなかった。こんなに機械化されていても、脳みそは忘却を失わないのだろうか。それとも嘘なのだろうか? 生身のことか、忘れたことか、あるいはその両方が。
見返してくるカメラアイからは表情を読み取れない。
「じゃあ、思い出して」
「もう少し柔らかく握ってもらえると嬉しいんだけど」
「ああ、ごめん」
いつの間にか私の右手がマニピュレーターを握っていた。謝って手を放す。
「ずいぶん前のことだからね」
「クロエと言う名前は、どこから?」
「どうだったかな、多分部品のどこかに書いてあったんだと思うけど」
ハカセがマニピュレーターを組む。
クロエはサイエとオルトと私の合作。世界に一つしかないはず。その一つしかない傑作は残骸になって、今もあの何もない部屋に転がっている。
それにクロエは強化外骨格だ。無人機じゃない。
それじゃあ、ただの偶然の一致だろうか? それにしてはあの動きは……
疑問が渦を巻くように沸き上がってくる。問い詰めようと顔を上げる。
その時にみみになにかがきこえた。
「ん?」
遠くから聞こえるのは何者かの足音だった。三、四十部屋位離れたあたり。
「誰か来る」
「あー、しまったな」
ハカセはマニピュレーターでカメラアイを掻いた。
「そういえば今日お客さん来るんだった。あー」
「邪魔なら帰るけど」
「いや、はち合わせられるのも嫌なんだ」
しばらく思考してハカセは聞いた。
「静かにするの得意?」
◆◆◆
機能を停止して横たわった無人機の光のないミラーシェイドが隣に横になった私を見つめている。
なんだかきまりが悪くなって、天井を見上げる。
息を潜めて、背中に意識を集中して耳を澄ませる。足音が次第に近づいてくる。機械の足。おそらく男性型アンドロイドか重サイボーグ。
隣の部屋の障子が開く。
「いらっしゃい」
「邪魔をする」
その声をどこかで聞いたことがある気がした。
記憶をたどり、耳を澄ませる。ハカセの駆動音が遠ざかる。別の部屋に行ったのだろうか。
映像の音が聞こえる。何かの爆発する音。建物の崩れる音。
来訪者は物音一つ立てない。鼓動の音も、駆動部の音も。
「あいよ」
ハカセの足音が戻ってくる。何か、重たいものを手渡す音。
「確かに受け取った」
「まいどあり。ごめんね、時間かかっちゃって。前の芯材のまま修復したから、使用感は変わんないはずだけど。使ってみて違和感あったらまた言って」
「問題ない。こちらで合わせる」
「そう、それは良かった」
短い間。
「あー、じゃあ、お姫様の方はどうなの? その後」
「問題ない」
「そりゃよかった。そっちもなんかあったら言ってよ」
「問題ない」
来訪者はぶっきらぼうに答える。その飾り気のない口調に半年前のあの夜の記憶がよみがえる。耳で聞いたのではない。頭が拾った違法通信の向こう側。
狩猟課を襲撃して、リガオを連れて行ったあの人影の通信だ。
飛び出そうとする筋肉を、理性で押さえつける。拮抗し硬直する全身。
「客人か?」
緊張させた肉のきしんだのだろうか、ハカセの言葉を切って、来訪者が尋ねた。
見えないはずの視線を感じる。アンドロイドにも殺気はあるのだろうか。
ゆっくりと深い息をする。高まる鼓動を押さえつける。
「あー、まあね。ちょっとたまたまね、話し相手。大事だよ。ここにいると暇なんだよ。ネット繋ぐわけにもいかないからさ」
ハカセが決まり悪そうに答える声が聞こえる。
「お前がどんな客を取ろうが構わんが、我々に不利益を与えるなら保護は無いぞ」
「……わかってるよ」
「居場所を知れたら困るのはそちらが先だぞ」
「わかってる」
しばしの沈黙。静寂が流れる。
「それならいい」
言い捨てて、来訪者は去っていった。
◆◆◆
足音が聞こえなくなってから、博士の部屋に入る。ハカセはどこか不機嫌そうにマニピュレーターを組んで映像を見ていた。おどろおどろしい音楽とともに下から上に文字が流れている。
「まだいたの」
「さっきのやつはなに?」
映像を見たままのハカセの後部に問いかける。カメラアイがぎょろりと私の方を向いた。
「知らないほうがいい」
「知りたい」
そっとマニピュレーターを掴む。舌打ちの音がスピーカーから洩れる。わざわざ作った音なのだろうかと他愛のない考えが浮かぶ。
「ここを貸してくれてる人。それだけ」
「何を渡したの?」
「仕事のことを言えるかよ」
マニピュレーターを掴んだ手に力を込める。マニピュレーターが軋みはjメル。機械の体に痛みはないが、作業用のマニピュレーターが折れたらそれなりに困るだろう。材料が手に入りにくい場所に籠っているときにはとくに。
諦めてハカセは言った。
「なんか音出す棒だよ」
「ふうん」
思っていた通りの解答。半年前の耳鳴りを思い出し身震いする。手を放す。解放されたハカセは距離を取る。
「なんだよ」
「なんでもない。知り合いかもって思っただけ」
「何の因縁があるのか知らないけど」
私はどんな顔をしていたのだろう。ハカセは私の顔を見て言った。
「このあたりのアンドロイドを仕切ってる連中だ。下手に手を出したら、簡単に消されるぞ」
「わかってるよ」
すげなく返す。
実際のところ、心に浮かぶこの感情はなんなんだろう。あの戦闘アンドロイドを倒したところで、何になるというのだ。ハカセの言うことが本当なら、厄介ごとに巻き込まれるだけ。
けれども、心は燃える。あの時の痛みを思い出して耳の奥が疼く。やつを倒せば、あの夜をやり直せる。そんな奇妙な考えが頭から離れない。
「おい」
カメラアイが見上げるようにのぞきこんでいた。マニピュレーターがそっと頬に触れている。
「無茶はやめとけ」
「あなたには関係ないでしょう」
「まあ、そうだけど」
言ってハカセはカメラアイを回した。マニピュレーターで頭部を掻く。人間の頃の癖なのだろうか。痒い所などないだろうに。
ハカセが音声を漏らす。少しためらうように。それとも話題を変えるようにだろうか。割れかけた音声は感情を読みにくい。
「あー、せっかくここまで来たんだからさ。なにか直すものとかもってきてよ?」
「はい?」
「暇なんだよ。ここにいると」
カメラアイを畳に向けながら博士は続ける。
「だから、こう、なんか直すものがあったりするなら、暇つぶしになるからさ」
何もない部屋の隅に転がる残骸を思い浮かべる。この機械に預ければ、元通りに動くようにできるのだろうか。
私は首を振る。
「何もないよ。直すものなんて」
「そうかい」
見つめてくるハカセの表情は読めない。
映像はいつの間にか終わっていた。
黒い画面に映し出された「THE END」の文字の下、なにかの生き物の両目がこちらを覗いている。
【つづく】
かきました。
最近引きこもりで筋肉たりてねぇなって思ったので、「プリズナートレーニング」を引っ張り出してきました。
アメリカの囚人が行ったという触れ込みの自重トレーニングの本です。自重トレーニングなのでお手軽に始められることと、段階を追って強度を増していくのでモチベーションを保ちやすいのが特徴です。
だいたい少し大人しくなった逆噴射文体で書かれてるので胡乱な人々には読みやすいのも強みだ。
さあ、みんなも筋肉になろう。
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