【連載版】コッペリアの末裔 vol.9 贈り物は交渉の基本
ハカセに案内されて八畳の迷宮を進む。
行先がわかっていても二度と帰れないのじゃないかと思うほど長い帰り道だった。
「ええっとここを右で」
記号の刻まれた金属板をマニピュレーターでカメラアイの前に保持したまま博士が言った。言われるままに右手の障子を開ける。
「覚えてないの?」
「最近出てなかったんよ。クロエ作る時に見たのが最後かな」
ハカセが口にした無人機の名前を聞いて、眉間に皺が寄るのを感じる。言いがかりだとは思う。あの無人機は私たちのクロエとは関係ない。それはわかっているけれども、見知らぬ機械のスピーカーからその名を聞くとなにか顔の筋肉が強張ってしまう。
カメラアイの視線を感じる。ハカセは何も言わず進んでいく。車輪のついた四本の脚が姿勢を制御しながら小刻みに動く。
「そういえばさ」
何部屋目か数えるのに飽きたころにハカセが言った。
「スンドのおばあちゃんって知ってる?」
「え」「ん?」
思いもよらない名前に、思わず足が止まる。間抜けな声が漏れる。ハカセも立ち止まり、ガシガシと音を立てて体ごと振り返った。
「知り合いなの?」
「まあ」
「え、すごい。本当に? 元気してる?」
言いながらハカセはマニピュレーターを天井に向ける動きを見せた。古い動作で驚きを示す動きだっただろうか。昔、オルトの物理書籍で読んだ気がする。
驚きで浮かんだそんなどうでもいい考えを打ち消して、当たり障りのない答えを返す。変わらずキーボードを打ち続ける小さな背中を思い出しながら。
「元気そうだよ」
「そっか」
答えを聞いてそれだけ言うとハカセはまた前を向いて進み始めた。その背中に追いつきながら尋ねる。
「どういう知り合いだよ」
「んー、ここ来るときにお世話になったの」
歩みを緩めずにハカセが答える。ありそうな話だった。おばあちゃんの仕事がタバコ屋だけでないことはなんとなく感じていた。
なにかを聞こうと口を開きかけたところで、ああここだと、つぶやきながらハカセが障子を開けた。他と代わり映えのしない部屋だったけれども、確かに天井に穴が開いている。
穴を覗くとはるか先まで梯子が続いている。
「また来てくれる?」
ハカセに聞かれて考える。来ることがあるだろうか。来る理由は、あるだろうか。疑問、疑念、聞きたいことはまだ残っている。
例えば、あのアンドロイドのこと。辿る糸になるだろうか。知りたいとは思う。けれどすぐには頷けない。
どうして?
思い出すのは空っぽの何もない部屋。誰もいない部屋。
その部屋の隅に放置された動かないクロエ。
「まあ、気が向いたらでいいんだけどさ」
沈黙を否定と受け取ったのか、ハカセは体を少し傾げながら付け足すように言った。私は曖昧に頷いて、梯子に手をかけた。
カメラアイの視線を感じながら、地上に向かった。
◆◆◆
建物の外に出ると弱々しく差し込む日の光が路地裏を照らしていた。天候管理の範囲から外れている裏市には一日のうち僅かな時間だけ日の光が差す。
久しぶりに見る太陽の光に目が細まる。もう日が暮れる。ビル風に肩をすくめてポケットに入れた左手が何かに触れた。
「あー、どうしようかな」
筋肉ショップのお釣りの物理貨幣を取り出す。結構な額だ。情報通貨から物理貨幣への両替は容易だが、逆はなかなかめんどくさい。両替屋はかなりの手数料をとろうとするだろう。
「なんか買っていくか」
そうひとりごちる。管理区域内で物理貨幣を扱っている店はほとんどない。所持しているだけで奇異の目で見られるだろう。なにか裏市で買っていくのがいいか。
筋肉回復剤の缶を背負い直して少し考える。何を買おうか。
考えながら路地裏を抜けて大通りに出る。ちょうどそのとき、看板に描かれた矢をくわえた虎と目が合った。おなじみの羊羹屋の看板だ。
おばあちゃんの好きな羊羹だ。そういえば、あれは裏市にあるお店だった。オルトとの買い出しの時には時々買って帰っていた。
その時だけはおばあちゃんはキーボードを打つ手を止めて、目を細めて受け取っていた。おみやげを買っていったら、おばあちゃんは今でも喜ぶだろうか。
◆◆◆
旧商店街駅前商店街の夕方はいつも穏やかな橙色の光で照らされる。偽物の夕日だとオルトがばかにすると、決まってサイエは光の精神の安定への作用を語り始めたのを覚えている。中身は全然覚えていないけれども。
「それじゃあ、よろしく頼んだよ」
サイエの家への角を曲がるところで、よく通る張りのある声が聞こえた。おばあちゃんの声だ。誰かと話している。
角を曲がるとおばあちゃんが男の人と話しているのが見えた。どこかで見たことがあるような男の人。おばあちゃんはその男の人に何かの箱を渡している。煙草の箱だろう。
お店を閉めた後もおばあちゃんの煙草のルートは閉じていないらしくて、煙草を捨てられない人たちに卸していると聞いたことがある。
「ええ、スンドさんに頼まれたら仕方ねぇや、任せといてくださいよ」
「よろしく」
男の人は頷いて、こちらに歩いてきた。あまり特徴のない笑顔の男。やはりどこかで見た気がする。会釈してすれ違う。男の背中を横目に見送っていると、おばあちゃんが私に気がついた。
「ああ、アンロちゃんかい? どした?」
「これ買ってきたから。渡そうと思って」
筋肉回復剤の缶を地面に卸して、羊羹の箱を取り出す。その包みを見て、おばあちゃんは眉を上げた。
「トラヤかい?」
「うん、ちょっと裏市に行ったから」
「危ないことをするんじゃないよ」
きつい口調で言われる。けれども少しだけ口角が上がっているのがわかる。上機嫌のしるし。買ってきてよかったと思う。
「さっきの人は?」
「広報課の課長さん」
「え?」
さらりと出た名前に驚きの声を漏らしてしまう。広報課と言えば管理区内の情報一般を仕切る大部署だ。その課長? なんでそんな大物がこんなところに。
「今度の祭りの配置のことでちょっとね」
疑問が顔に浮かんでいたのか、おばあちゃんが説明してくれた。
「商店街祭り?」
「うん、配置を失敗すると面倒なことになるからね。ちゃんと考えなって」
「へえ」
商店街祭りは広報課の仕切りで開かれる祭りだ。つつがなく行われる管理に対する感謝と隣人との連帯を高めること、それにちょっとした気晴らしを目的にして毎年この時期に開かれている。商店街のお店は昔気質にそれぞれ屋台を出す。
「おばちゃんも出すの?」
「ああ、出すよ。そのためにとっておきを渡したんだから」
そう言ってしかめ顔を作る。
おばあちゃんは毎年ユメミグサを売っていた。毎年、三人で手伝っていた。サイエとオルトと私の三人で。
「手、足りる?」
「まあ、何とかなるよ。声をかけりゃ断れねえ奴らもいるし」
おばあちゃんの返事を聞いて、自分の唇がへの字に曲がるのを感じた。おばあちゃんの屋台に私たちじゃない誰かがいるのを想像するとすごく居心地の悪い気持ちになる。気が付くとへの字になった口から声が漏れていた。
「手伝っていい?」
おばあちゃんは驚いたように目を開いた。その目を細めて続ける。
「間に合っているよ」
「わたしが、手伝いたいの」
思ったよりも強い口調が飛び出した。おばあちゃんと目が合う。眼鏡の向こう鋭い目つき。しまったと思う。出た言葉は戻らない。
怖い目。音響兵器や空気砲を向けられてるときのような圧力。でも、逸らさない。逸らせない。脚を奮い立たせて。目を合わせ続ける。
ため息をついておばあちゃんが言った。
「ただ働きでいいかい?」
「去年までもそうだったじゃない」
そうだったかね、と肩をすくめる。
「まあ、入りなよ。明日から準備に動いてもらうからね」
おばあちゃんが玄関を開けて手招きをする。私は頷いて家に入っていく。玄関口で靴を脱いで、おばあちゃんの靴の隣にそろえて置く。二人分の靴が並ぶたたきは、やけに広く感じられた。
【つづく】
書きました。羊羹は美味しいですよね。『SHIROBAKO』で矢野先輩が羊羹をやたら推してくるのが印象的です。あれって多分忙しい中で最低限のカロリーを摂取するためだよな、とか思ったりなんかもします。本当に好きなだけかもしれませんが。
長時間食事をとれなかったり、食事をする時間が短い業界では頭の働きを維持するために甘いものが好まれる傾向があります。スタッフの陣地にラムネやブドウ糖タブレット、羊羹などが積まれているところに行ったときは……いろいろと覚悟を決めた方がいいかもしれませんね。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?