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映画館の見る夢

 この街で消えた人間を探すのは、失くした目玉を見つけるよりも難しい。ボスに命じられなければ、職場に来なくなった同僚、田中のことなど尾内はすぐに忘れていただろう。人が消えるのは珍しいことではないのだ。
 こうして通りを探して見つかるものだろうか。尾内は首を傾げる。そもそも今どんな姿になっているだろう。路地裏で酔いつぶれているのか、義体肌屋に並んでいるのか、それともあの臓物煮の鍋の中で食欲をそそる匂いを立てているのか。
「ん?」
 探索する視界に奇妙なものが引っ掛かった。ペンキで「キネマ」と書かれた看板。汚れてはいるけれども割れてはいないガラスケース。色褪せた写真入りのポスター。
 記憶のかなた、この街に来る前によく見た施設。
「映画館?」
 この街にいつの間にか建物が生えるのは珍しくないが、こんなに文化的な建物は珍しい。
「おや?」
 もう一度首をかしげる。
 今、映画館に入っていった背中に見覚えがある気がした。尾内はその背中を追いかけた。
 掛かっている映画の題名など見もせずに。

◆◆◆

 ロビーは思いの外混みあっていた。映画への期待や解釈を語り合う囁きと煙草の煙で満ちている。尾内は所在なくあたりを見回す。
 待合の椅子に座る中に一つ、知った顔を見つけた。
「田中?」
「あれ、奇遇ですね」
 尾内が声に田中は顔を上げた。
「何をしているんだ? こんな所で」
 田中は悪びれもせず笑って答える。
「ここは映画館の待合室ですよ。映画が始まるのを待っているのです」
「何の映画をやってるんだ?」
「良い映画です。懐かしくて暖かくて……ずっと見ていたくなるくらい」
 田中は夢見る眼差しで微笑む。じくりと心臓が痛み、尾内は吐き捨てる。
「こんな街で夢を見てもしょうがないだろう」
「こんな街だから、夢を見るんです。ほら」
 田中が目を上げる。劇場の扉が開く。もぎりの男が朗らかな声を上げた。
「皆様、それでは開場です。本作品に予告編はございません。すぐ本編が始まります」

【つづく】

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