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Vol.6 ドブ券、片隅、アノニマス

「ちゃんとお行儀よくするって言ったでしょ」

「次どこ行きます?」

「みんなのやりたいを応援する御馬ヶ時お宮」

「サケを、サケをよこせ」

「えー、すごいですねー」

定まらない視界を通りすぎる群衆は、思い思いの音を置き捨てて行く。

路地裏からぼんやりと人々が表通りを行き交うのを眺めながら、クニトは口の中を舌で探る。奥歯に詰まっていたドブ券の欠片を探り当て、舌をつりそうになりながらほじくりだす。幸運に頬をほころばせながら、舌でふやかせて噛み締める。

たちまち口内に広がる幸福感。聞こえてくる雑踏は意味を失った音になり、すべてと調和した音楽のように耳に届いた。思わず仰いだ曇天からは、花を思わせる幾何学模様が灰色に輝きながら降りてくる。 

体の境界が薄れ、町の空気に溶け込んでいく。優雅な全一感。意識は世界に拡散していく。

「ウゲー、オボッオゲッ」

恍惚は隣の嘔吐の声と吐瀉の香りで霧散した。クニトは自分の精神が窮屈なもとの肉体に閉じ込められていることに気がついた。隣ではヤク仲間のケンジが地面に突っ伏してゲロを吐いている。

「くそ! せっかくいい感じにトベてたのに」

クニトが腹立ち紛れにケンジの脇腹を蹴飛ばすと、ケンジはひときわ大きくえずき、勢いよく胃の中身を地面にぶちまけた。ふぃー、と息をつきながらケンジは吐瀉物の中に大の字に横たわる。飛び散る飛沫にクニトは眉をひそめる。

「なにキメたんだ?」

「テンシノコエ」

「なにそれ、新商品?」

「知らん、コウジが売ってた」

「きくのか?」

「殺されてもわからんくらい」

「よこせ」「もうない」

「じゃ、ドブ券でもよこせ、てめえのせいでさめたんだよ」

ケンジは渋々尻のポケットからくしゃくしゃになったドブ券を取り出す。ん、とそれをむしりとるとクニトは一舐めして、懐にしまいこむ。

「なめねえのか?」

「気分じゃない」

ふーん、と興味なさげに呟くとケンジは余ったドブ券を口に運んだ。たちまちその視線はどこか彼方へとんだ。その視線の先を見るとなしに見やりながら、このままでいいのか、とクニトはふと思う。

なにもない虚空。荒れ果てたボロ小屋でうつろに自分を見つめる妹や、薬を飲んで帰った日にため息交じりに自分を迎える母親の顔が浮かんだ。

「クスリやめるかな」

クニトが呟くと、ケンジはふぇひひと不気味に笑い、「何度目だよ」と虚ろに返す。

「てめえのつら見てたら、やべえ気がしてきた」

「ひどいことを」

「え、でもやめてどうすんの?」

そりゃあ、と答えかけてクニトはその声がケンジのものでないことに気がついた。

声の方に視線をやると吐瀉物の水溜まりを避けて瓦礫に一人の少女が座っていた。なにか輪郭をとらえづらい黒色の服をまとい、血悪い顔に薄っぺらいにやにや笑いを浮かべた少女だった。ケンジをつついている黒い右腕は奇妙に長く形が定まらないように見えた。

「誰だよ」

目をこすりながら怪訝な顔でクニトは問う。この町では見知らぬ人間はそれだけで警戒すべき存在だ。たとえそれが少女の姿をしていたとしても。

「私? 私は後藤だよ」

少女は答える。クニトに心当たりはない。ケンジに目をやるとぼんやりした目で首を振っている。

「いやでも、実際大事なのはやめてどうするかじゃない?」と衣を重ねようとしたクニトを遮って、後藤と名乗る少女は唐突に話を再開した。「やめようって思うだけだと、続かないと思うんだよね」

「今までもそれでやめられなかったんじゃない? 」と問われ、思い当たる節があった。クニトは「まあ」と曖昧に答える。

「だから、やめたらなにが手にはいるかを考えてみたらどうかな? 」

少女は立ち上がると吐瀉佛を踏まないように慎重に歩き回りながら語る。

「クスリをやめるとなにが手にはいるか? もちろん使っていたお金が節約できる。それから、ラリってない時間もできるわけだ。信用は……この町では関係ないかな。あとは、健康とか?」

へっ、と少女を横たわったまま目だけで追っていたケンジが鼻で笑った。

「健康」

「なに?」

「こんな所で健康になってどうなるよ。長く生きても誰かにぶっ殺されるだけさ」

「なるほど、それも一理ある」

けれども、と後藤は続ける。

「その短い時間を少しだけでも有効に使うために、クスリを少しやめてみるというのは試してみる価値があるんじゃないかな?」

「そんなうまくいくかよ」と、ケンジは寝返りをうつ。

クニトはぼんやりと後藤の言葉を反芻する。

「どう思う?」

気がつくと目の前に後藤の顔があった。クニトはふと後藤は本当に自分のことを心配しているのではないかと思った。誰かに心配されることなんていつ以来だろう。この町で、他人を心配するなんて贅沢ができる人間はそれほどいない。

「あんた一体なんなんだい」

疑問が思わず口からこぼれでた。

「私? 私は後藤だって」

「そうじゃなくて、だから……なんでこんなことを」

「あー、なんだろ、趣味?」

「趣味?」

「そう、魔法少女、趣味なの」

仮面のような薄っぺらい笑顔は、けれども本気か冗談かを見透かせない。

「あなたの悩みをちゅるっと解決、キュアドレイン」

後藤は口角をひときわ上げていった。

「聞いたことくらいあるでしょ?」

「あ、ああ、あの」

聞き覚えのない名乗りに、クニトは曖昧に答えた。

「そういうわけだから、悩める市民を導くのが……ん?」

後藤、ことキュアドレインは言葉を切ると、目を細めた。

「どうした?」

「いや、ちょっと立ち上がってもらってもいいかな。で、こっちに来て」

「ああ」

首を傾げながらもキュアドレインの指示のままに、立ち上がり、移動する。路地に背を向け、クニトの影にキュアドレインが入るような位置になった。

「これは一体?」

「いや、たぶんなんでもないんだけど、それでなんの話してたっけ?」

「えっと、たしか」

と、思い出そうとしていたクニトの頭を突如飛来した拳大の石が粉砕した。

血と脳みそのかけらがキュアドレインに降り注ぐ。散らばった脳みそは物質に戻り機能を失い、話題を思い出す機会は永遠になくなった。

頭と生命を失ったクニトの体がくしゃりと崩れ落ちる。

「あーあ、ひどいことを」

「やっと見つけたぞ、チョロチョロ逃げやがって」

路地の方から、一人の少女が姿を現した。スポーティーな魔法装束をまとい、右手に石を、左手に輝く金属バットを持っている。

「やあ、ストライクちゃん、だっけ? よく平気で殺せるね。正義の魔法少女のくせに」

「お前を庇ったからだ」

キュアドレインは肩をすくめて言う。

「たまたまいただけだよ」

「いずれにせよヤク中だ。悪人は滅ぼす」

「ヤク中が悪だって?」

「そうだろう? こいつらはクスリのために平気で罪を犯す」

「大バカ野郎!」

突然怒鳴りつけると、キュアドレインはクニトの死体をキュアストライクに投げつけた。

キュアストライクは左手に提げていたバットを閃かせると両断しつつ打ち落とし、右手の石を投げつけようとする。

「!」

死体から四方八方に黒粘液が伸びているのを見て、投球を諦め後ろに跳ぶ。黒粘液は深追いをせず、キュアドレインの右腕に戻っていく。

キュアドレインは怒鳴る。

「こいつらはなあ、クスリをやりたくてやってんじゃねえんだよ。苦しいとか辛いとかそういうのから逃げようと、そのためのたった一つの方法だったんだよ! それをてめえは悪だっていうのかよ! 殺されて、体を真っ二つにされて当然の罪だって言うのかよ!」

「それは…」

その剣幕に押されて、キュアストライクは口ごもる。

「おい」

キュアドレインは左手で何かをキュアストライクに放り投げた。キュアストライクは一瞬身構えたが、その速度がゆっくりなのを見て、バットに当てて地面に落とした。

「なにこれ」

地面に転がったのは飴玉だった。包装紙には「テンシノコエ」と印刷されている。

訝しげなキュアストライクにキュアドレインが答える。

「最近売り出されたクスリだ。中毒性も体への害も並外れてる。まだ、よっぽどのジャンキーにしか回ってないが、流行り始めると、どうなるかわかるよな?」

「なんでこんなもんを」

「そいつが持ってたんだよ」

キュアドレインはクニトだったものを示す。

二人の魔法少女長い間にらみあった。

「今回は見逃してやる」

やがて、キュアストライクは目線を落とし、飴玉を拾って表通りへと去っていった。

「ふー」

キュアストライクが姿を消したのを確認して、キュアドレインは大きく息を吐いた。

「よしよし、上手く誤魔化せた。あ、なんかごめんね」

息をひそめ死んだふりをしていたケンジは突然話しかけられて、びくりと肩を震わせた。

「君たちといたら隠れられられるかなって思ったんだけど、見つかっちゃった。ごめんね、友達も殺されちゃってさ」

言葉に悪意はまったく感じられない。その事実がケンジに恐怖を覚えさせた。

「いや、それは、はい」

怯えながらケンジは答える。その視線に潜む恐怖に気が付いたのか、キュアドレインは笑いながら言う。

「ん、ああ、大丈夫、大丈夫。私は無意味に人殺したりしないからさ」

「はあ」

「あ、クスリも勝手に渡しちゃったけど大丈夫だった?」

「あ、もちろんです。はい」

ケンジは勢いよくこくこくと頷く。

「よかったー、さっきのやつしつこいやつでさ。これでしばらくは大丈夫なはず」

キュアドレインは安心したように言う。

「そうですか」

「うん、これでしばらくのんびりできるわ。ありがとね」

なんと返すべきかケンジが悩んでいるうちに、キュアドレインはゆらりと陰に紛れるように姿を消した。

あとには真っ青な顔をしたケンジと真っ二つになったクニトの死体が残された。

ケンジはクニトの死体を震える手で漁り、生前に渡したドブ券を取り出した。少し血に汚れているけれども、なんとか破れてはいなかった。

ケンジはドブ券を一口舐めた。口内にドブの味が広がり、世界の輪郭が輝き始める。けれどもどうしてだか今まで見えていたほどには、鮮烈に感じられないような気がした。



書いた!

なんか、今回すごく気持ちよく書けました。この感覚を持続させていきたいな。

そういえば、逆噴射大賞が今年も開かれてますね。挑戦してみようかしら。

800字ってどれくらいなんだろ。うーむ。とりあえず試してみよう。

以下に毒にも薬にもならない、おしゃべり。

買ってもらえると私が喜ぶ。

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325字

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