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ずっと優しい人を探していた
わたしはずっと、優しい人を探していた。
自分のことを理解しくれて、辛い時は甘やかしてくれて、寂しいときには抱きしめてくれて。
そんな人を探していた。
そうして安寧を求めることで幸せを得られると思っていた。
今思う、それはちょっと違うのではないか。
そんな人を探していたら、人ってそんなに優しくないことを知った。
人って意外と自分が大事で、自分の欲求に素直だ。
人のために優しくしてあげられる人は、心に余裕があって、相手のことをきちんとみることができていて、目の前の自分のことよりも相手のことを優先できる人、つまり簡単にできることではなく、一生懸命やってできることなのだ。
わたしの母親が何しろわたしのことを無限の愛で包んでくれるものだから、このことに気づくのに25年もかかってしまった。
そのことに気づき、だったらそういう優しい人と一緒にいたらいいんだ、そんな人は珍しいけれど、いるはずだ、頑張って探そう、そう思った。
いたと思った。
いつでも優しくて、辛い時は甘やかしてくれて、寂しい時は抱きしめてくれた。
夢のような世界だと思った。
幸せだと思った。
でも、そんな世界は長続きしないからだ。
優しい人は世界にはいる。
でもその優しさは有限で長続きはしない。
では、どうすれば幸せになることができるのだろうか?
そう考えて気づくことがある。
人が優しくしてくれるかどうかなんて測ることができない。
昨日優しかしてくれると思った人が突然今日優しくなくなることはしょっちゅうある。
人の変数は1つではないのだ。
自分がこう生きたいと感じる人はどんな人なのか?
例えば小林りんさん。
ものすごい熱量でインターナショナルスクールを軽井沢に作った人だ。
例えば、野田洋次郎さん。
素晴らしい音楽でたくさんの人を救う人だ。
この人たちは、優しい安寧を得ているから、幸せなのだろうか。
(当の本人はもしかしたら幸せではないと感じているかもしれないが、わたしからみた主観の話でここは進めたい)
優しい安寧を得ているから幸せ、というよりも自分のやりたいこと、表現したいことを持ち、そのエネルギーに対してまっすぐに進むからこそ、人はそこに魅了されるのではないだろうか。
考えるまでもないことだったのかもしれない。
でも自分にとって大きな発見だった。
求めるのは、優しさ安寧の世界ではない。
自分が心から命を燃やしたいと思えることにエネルギーを注ぐことである。
そんなものには、滅多に出会わない。
今目の前のことに没頭することでも良い。
ただ、ひたすらに、自分のことをまっすぐに燃やしてあげられる自分でありたい。
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