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【アニメ国語塾】新作問題/呪術廻戦と鬼滅の刃

アニメや漫画で国語の読解力を養成する、アニメ国語塾です。

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最新の問題が完成しましたのでアップ致します。問題文の文字数は約2,000文字、センター試験の大問1個分のボリュームです。

以下の文を読み、問いに答えよ

週刊少年ジャンプにおいて呪術廻戦という漫画がヒットしている。同雑誌の大ヒット作品である鬼滅の刃と同じ日本が舞台で、かつホラーないしはダークファンタジーというテーマが共通していることから「第二の鬼滅の刃」と紹介されることが多い。

だが実際に両者の作品は全く別物である。もちろん、同じ日本といっても鬼滅の刃が大正時代の日本が舞台なのに対し、呪術廻戦は現代の日本という違いはある。しかし最大の違い主人公の「目的」である。鬼滅の刃の主人公である竈門炭治郎(かまど たんじどう)の目的は鬼となった妹を救う(人間に戻す)のが目的であるのに対し、呪術廻戦の主人公である虎杖悠仁(いたどり ゆうじ)には(連載開始の時点では)守るべき家族が存在しない。

唯一の肉親ともいえる祖父が亡くなった時点で彼は「天涯孤独の身」であり、加えて作中に登場する敵、即ち「呪い」は必ずしも彼にとって敵ではなく、さらに呪いと戦う人々も彼にとっては味方ではなく他人でしかない。にもかかわらず、彼が戦う。もっといってしまえば戦わざるを得ない理由が一体何なのか?それは自ら呪い(両面宿儺)を体内に宿してしまい、本来は味方のはずの人々(東京都立呪術高等専門学校)から「敵同然」の扱いを受けてしまうことなのである。

そこから始まる彼の目的は「自分の体に多くの呪いを取り込み、最後には自分の体もろとも消滅する」というものになる。ちなみに聖書において、イエス・キリストは死刑(磔)となった後、3日後に復活し、地上の全ての人々の罪を背負って天に上ったと書かれており、これをご存じの方も多いだろう。

だとすれば虎杖悠仁の目的は呪い、即ち負の感情。即ちキリストが「罪を背負って亡くなった」と同じ使命を課せられた状態だといえる。つまり竈門炭治郎は「生きるために」。もっといってしまえば「妹が生きるために」戦っているのに対し、虎杖悠仁「自らが死ぬために」戦っている。このテーマの違いが、両作品の最大の違いだといえるのではないだろうか。

なお、本文を書いている段階で呪術廻戦は連載中である。したがってラストシーンがどうなるかは今のところ判明していない。しかしこのままの展開では彼がどれだけ敵と戦い、勝ったとしても幸福なシナリオは想像が難しい。何故なら呪術廻戦における敵ともいえる存在。即ち「呪い」は人々の負の感情から生まれるものだとされているため、どれだけ戦おうとも、あるいはどれだけ強力な呪いを打ち破ろうとも、人間が生きている限りはなくならない。いわば「無限の存在」なのである。

そうなると、最終的に彼に課せられているのは「体内の呪いもろとも自らが消滅」もしくは封印されるこということになる。当然だが、そこに未来や希望といった概念は存在しない。現時点で想像しうるラストは基本的にハッピーエンドではなくバッドエンドである。

もちろん、多くの漫画作品において全てがハッピーエンドというわけではないし、またそうしなければならない理由も存在しない。実際に過去の作品にはバッドエンド、中には読者が思わず目を背けてしまいたくなるような最終回で終わった作品も存在している。そして鬼滅の刃においても連載中、主人公と妹。そして仲間が多くの困難に襲われたし、実際に作中で命を落としたキャラクターも存在する。

だが、それは全て「幸福な」エンディングに向かうためのプロセスに過ぎず、との途中に生じる悲劇はあくまで「幸せな」最終回に向けての一段階に過ぎない。一方、呪術廻戦はどうか?全ての敵に勝利し、呪いの大元を断つことで虎杖悠仁は生きることができるのだろうか?残念ながらそのような展開は今のところ想像し難い。何故なら前述のとおり、呪いは人間の負の感情から生まれる。もっといってしまえば人間という存在がある限り「生まれ続ける」ものである。したがって彼。もっといってしまえば全人類が呪いから完全に開放されるというストーリーを想像するのは非常に難しい。

実際、この作品のテーマは「生き方」ではなく「死に方」。もっといってしまえば生きるか死ぬかではなく「どうやって死ぬか」なのである。作中では「より多くの人のためになる死に方」という表現がされている。鬼滅の刃が「特定の誰かを助ける」であるのに対し、こちらは「不特定の何人かを助ける」である。

不特定の人間を助けるのであれば、その中にはおそらく、助ける価値がないと思われる人間も存在するのではないかということになるだろう。例えば犯罪者や不道徳な人間。そんな人々まで助けることになった場合、彼らのために他人、即ち虎杖悠仁が犠牲になる意味が果たしてあるかという問題まで問いかけられている。

つまり両作品は外見的な特徴や舞台に共通点がいくつか見られるとはいえ、そのテーマは全く関係ない。もっといってしまえば「生き方と死に方」という意味では真逆の作品といってもいいのかもしれない。

【問題】

下記の内容のうち、鬼滅の刃に関するものにはa、呪術廻戦に関するものにはb。どちらにも該当しないものにはcをつけよ。

1.生きるという選択肢が最初から存在しない
2.基本的には幸福を追求する作品である
3.誰一人幸福になる人間がいない
4.不幸は幸福な最後を迎えるための過程にすぎない
5.実際に助ける相手が誰か決まっていない

解答と解説

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【正解】
1.b
2.a
3.c
4.a
5.b

【解説】
大ヒットとなった週刊少年ジャンプ「鬼滅の刃」に続き、同じく人気作品として話題の呪術廻戦がテーマです。

両者は作品の世界観等に共通点があり、一見すると似たような作品にも見えるのですが、実際に読んでいくと全くの別物、というより真逆の作品であることが分かります。

1の正解は「b(呪術廻戦)」ですが、これは従来のジャンプ作品からすると非常に異質な作品だといえるでしょう。

ちなみに「死ぬことが決まっている存在」という設定がなされた作品としては太宰治の「走れメロス」が一つ挙げられます。主人公のメロスは王に逆らったため死刑を宣告されるのですが、妹の結婚式を見届けてからにして欲しいと嘆願し、一時的に解放される。そして結婚式を見届けた後、王の下へ「死刑になるために」戻っていくという展開はご存じの方も多いでしょう。

ただ、この場合は結果として主人公(メロス)は正直な人柄が評価され、死刑を免れているわけです。

一方、呪術廻戦の場合、どうでしょうか?むろん、現在連載中の作品であり、最終的にどのような展開を迎えるのかは不明なのですが、現時点では彼が「死刑」を免れる方法は見つかっておりません。

作品を読み進めていくと、うっかり忘れてしまう方も多いかもしれませんが、基本的に虎杖悠仁は「死刑囚」であり、それを猶予されているに過ぎません。さらに言ってしまうと、それを執行するのは敵ではない。本来は味方であるはずの東京都立呪術高等専門学校なわけです。

本文にもあるとおり「自らが死ぬために」戦っている。いわば希望なき生存ともいうべきものが呪術廻戦のテーマです。従来の少年漫画等にある「戦いの中に生きる希望を見出す」という設定を常識として考えてしまいますと不正解になっていまう。即ち読み手の思い込みの裏をかいてくる問題といえるでしょう。


2の正解は「a(鬼滅の刃)」です。基本的にこの作品は「生きる希望」がテーマであり、少年漫画のテーマとしては王道的な展開だといえます。

また、本文中にもあるように、呪術廻戦とは真逆のテーマという説明がなされているため、ここからも正解の選択肢を読み取ることができます。

「5問中4問正解」を目指す理由

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3の正解は「c(どちらにも該当しない)」ですが、これは「迷う問題」です。鬼滅の刃においては鬼を倒すことで主人公の妹が救われるわけですし、またそのために鬼と戦っている主人公の努力も報われるわけですよね。

したがって、a(鬼滅の刃)という選択肢はあり得ない。残るはbかcの二択です。まず、b(呪術廻戦)はどうでしょうか?この作品の主人公は基本的に誰かを助けるために戦っているわけではありません。

一見すると自分自身が救われるために戦っているようにも思えますが、本文にも書いてある通り、全ての敵を倒した後は「自らが死刑になる」という設定です。そうなると、少なくとも主人公が幸福になるという展開ではありませんよね。

残るはc(どちらにも該当しない)ですが、正解はこのcです。何故かといいますと、虎杖悠仁が呪いという存在を打ち負かすことにより、本人は救われないものの、その呪いの発生源ともいえる人間は救われることになります。

これを誰かしらが幸福になっていると考えた場合、どうでしょうか?選択肢にある「誰一人幸福にならない」というのは呪術廻戦のストーリーとして間違っていることになりますよね。


ただ、これに関して疑問に持たれる方もいらっしゃると思われます。何故かといいますと虎杖悠仁が呪いを打ち破ることによって救われた人間は、確かに呪いによって殺されることはないかもしれません。

しかし、生きることが無条件に幸福とは限らないわけです。内容としては少々、深読みになってしまいますが、本人が生きることを望んでいない場合、結果として「呪い殺される」としても必ずしも不幸とは限りません。

その結果、誰一人として幸福になっていないと考えた場合、「b(呪術会戦)」という選択肢を選んだということもあながち不正解ではないわけです。

ただ、見出しの部分にも書いているとおり、この問題をあまり長時間かけて考察。あるいは議論するのは賢明ではありません。何故かといいますと、ここで解説しているのは基本的に「現代文の読み方」であり、学術的な考察を目的としたものではないので。

そうなると、このような問題をあまり深く考えすぎず、他の問題を優先的に解いていくという試験のテクニックが求められます。もし仮に、この選択肢が気になって、いつまでも考え込んでしまいますと、それだけで試験時間が終了となってしまう。つまり「時間切れ」です。

実は出題者の意図として、「受験生に無駄な時間をロスさせること」を目的とした問題は決して少なくありません。この選択肢もある意味、そのような意図をもって出題された、ある意味で非常にいやらしい問題だといえるでしょう。

では、このような問題に遭遇してしまった場合、どうすればよいのか?方法は簡単で、

・完璧な正解を求めない
・そもそも、満点を狙ってはいけない

つまり「スルー」してしまった方が賢明なのです。見出しの「5問中4問正解を目指す」のは、つまりそういうことなわけです。基本的に試験は満点を狙う必要はありません。そのためには、実際に得点を稼ぐ問題の取捨選択というのも必要となってくるわけです。

4と5については比較的簡単に正解できるかと思われます。そして実際の試験で重要なのは、4と5を正解するというよりは、むしろ、

3の選択肢をスルーして次の選択肢へ進む

択一問題というのは、後半の選択肢ほど難しいというものではありません。逆に前半の選択肢が簡単というわけでもありませんよね。そのため、分かりずらい選択肢はさっさと切り捨て、消去法で選ぶというテクニックが求められるわけです。

漫画を読む=予習をすること

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基本的には漫画やアニメを見たことのない人でも解答可能な問題となっております。ただ、実際に漫画やアニメを事前に見ておくことで、作品の全体像を理解しやすい。そのため、初見ではうっかり読み落としてしまうような内容でもカバーできる可能性が高いわけです。

しかし、ここで重要なのは漫画やアニメを読むことで、作品の内容を丸暗記することではありません。

きちんと予習をすると学習効率が飛躍的に高まる

この感覚をしっかりと味わってほしいと考えています。

予備校の授業を受ける際、基本的に予習が非常に大事なのですが、特にその重要度が高いのが現代文です。

さらに言ってしまいますと、予習の際に解いた問題がほとんど正解であり、講義の内容が「最終チェック」のレベルにまで達している場合、基本的には復習はほとんどなくても大丈夫です。何故なら講義が「事実上の復習時間」なので。

とはいえ、現代文の問題を予習するのは思ったよりも大変です。ある程度慣れてしまうと簡単なのですが、そこに行き着くまでに挫折してしまうケースが多いのも残念ながら事実なわけです。

ではどうすればよいか?

「予習」として漫画やアニメを見る

あるいはYouTubeやゲーム等も同様ですが、学校や塾の授業の場合、予習をしない原因は部活動の他、こういった娯楽に時間をとられ過ぎてしまうというケースが大半です。

だとすれば、これらの問題が出題されることで、一見すると遊びのように思える行為も実は学習教材として有効活用することが可能なわけです。

ただ、もしかしたらこのように考える方がいらっしゃるかもしれません。

こういうのは何も考えずに見るから楽しいんだよ。勉強と意識したとたんにつまらなくなるだろ。

だとすれば、その時は簡単です。「より面白い」学習参考書の問題演習を頑張ってください。いえ、何も考えずに勉強するからきっと楽しいものになるでしょう(笑)。

…と、冗談を書きましたが、基本的に読解力をしっかりと身につけ、予習でも正解率が上がると勉強は徐々に楽しくなってきます。そうなりますと、周囲の「一生懸命勉強している」「努力家」という評価とは裏腹に、本人は思ったほど勉強に苦労を感じていない状態なわけです。

最終的にはこのレベルを目指していただければと思います。そのために、アニメや漫画、あるいはYouTubeやゲームといったものをせっかくなので有効活用していただければと考えております。

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