「人は生きてさえいれば幸せ」なのは本当か…。
「人は生きてさえいればそれで幸せなんだと思います。」
という意見を頂戴した。
この言葉を受け取って、
しばらくモヤモヤしてしまった。
至極正論のように聞こえる。
でも私にはどこか腑に落ちず、励ましにもならず、何故だろうとずっと考え込んでしまっている。
果たして生きているだけで幸せだなんて思ったことが今まであっただろうか…。
心が愛や希望で満たされている状態の時だけは、
そう思っていたかもしれない。
でもそれが長続きするほど、私は幸せな人生を歩んでいない。
生きてるだけで幸せと思えて生きてる人が羨ましいと思った。
幸せの見出し方は人それぞれなので、
この言葉が私には合わないだけなのかな…。
生きるって辛いことの方が多くない???
孤独、不安、心配、悲しみ、妬み、、、
あらゆる負の感情を抱えながら、
少なくとも私は生きている。
これって苦しい。
正直、他人に、生きてさえいれば幸せでしょ?
と言われても、全然ピンと来ない…。
巷の人はどう思ってるのか気になって、
「生きてるだけで幸せ」で検索してみた。
案外、みんな「生きるのは辛い」派が多くて少し安心した。
そんな中、目に止まった意見が2つあった。
1つは、病気で死から生還した人の意見だ。
その人の「今は生きてるだけでありがたい」という気持ちは現実味があって納得した。
ただし、これは私自身が死に損なってみないことには肌身で感じ取ることのできない感覚である。
もう1つは、病気で子供を亡くした親御さんの吐露。
「闘病中生きてくれているだけで幸せだと思ったけど、今娘の居ない世界を生きてる自分は命あることが苦しくて仕方ない。」
これは私が娘を持っているので、想像しか出来ないが、この辛さは計り知れない、と思った。
それでも生きて行かなければならない、これは苦行だ。
こういう人に、「生きてさえいれば幸せだよ」なんて、私は言いたくない。
思うのだ。
人にはそれぞれ生い立ち、バックグラウンド、経験があって、経験で得る感情があって。
それらをやはりもっと尊重したい。
ちなみに私個人の話を晒します。
元場面緘黙児で学校で10年口が聞けなかった。
家庭不和で父親の愛情なんて知らない。
夫婦喧嘩を見続け、母親のずっと愚痴聞き役。
温かい家庭ってどんななの?って感じ。
介護の末母と死別。
父と精神的トラブル。
鬱発症。
結婚出産後離婚、親権取れず。
辛いですよ、生きてんの。
イジメにあってた学生時代もフラッシュバックするし、辛かった日々も思い出す。
親の壮絶な喧嘩、嘆き悲しむ母の顔、未だに心に残ってる。
死んだ母のこともしょっちゅう考える。
元夫のことより義親からの精神的暴力のトラウマで今も夢に見るし辛い。
将来の不安でお金の心配は尽きない。
子育てが出来ないのは何よりも辛い。
それでも生きてさえいれば私は幸せ、
とはやっぱり思えない。
みんなたぶん同じ。
いろんな辛い経験をして、負の感情抱えて生きている。折り合いつけながら、仕方ないかと思いながら、生きてる。みんな闘ってる。
歳を重ねる毎に、得た感情は蓄積されて、
過去の亡霊と闘いながら生きて行くのだ。
「生きてさえいれば幸せ」
ではなくて、
「生きてるだけで意味がある」
の方が私にはしっくりくる。
もしくは、
「生きることに意味はない」
でもいいのかもしれない。
そうこう考えてるうちに、
「生きること」について考えて深みにハマり出してしまった。
すみません、
敬愛する尾崎豊の言葉を拝借します。
「生きること。それは日々を告白していくことだろう。」
これは晩年に尾崎豊が残した言葉。
ふとこの言葉が頭をよぎった。
生きることに真摯に向き合い、それ故に苦悩と葛藤に満ちた彼の人生から紡ぎ出された人生訓。
幸か不幸かを問うのではなく、
日々を告白していくことだと言っている。
告白するとは何なのか。
私の解釈ですが、
悩み考え、自問自答して、自分なりに消化していこう。
ということなのか…。
私のイメージでは、尾崎は孤独の人だった。
紆余曲折あれど、音楽家として成功し、社会的評価もされ、自分を支持してくれる多くのファンを抱え、結婚し、子供も授かった。
なのに、ずっと孤独と闘っていたように思う。
自分の心を満たしてくれるモノは何なのか。
それを問い、悩み、音楽という形で吐き出し続けた。
心に抱える悶絶を、人生における心の叫びを、ここまで赤裸々に、恥じらいもなく、公衆に晒す。
それは見ていて痛々しくもあるし、正直言ってスマートだとは思えない。
こういう音楽のスタイルをとる音楽家は私の知る限りではあまり見受けられない。
尾崎は自分の心に抱えるモノを、音楽を通して他人と共有したかった、他人と繋がりたかった…。
のかな…と私は思っている。
彼がなぜそこまで孤独感を背負っていたのかは私には分からない。
赤裸々に心の叫びを訴える彼の音楽は、多くの人の共感を得て、世代を超えて支持され続けている。
「生きること。それは日々を告白していくことだろう。」
きっと、尾崎は音楽に乗せて、日々の思いを世の中に告白していたのかな…。
それが自分の孤独を救う手段だったのかな…。
SNSに思ったことを投稿していいねをもらうのと同じことなんじゃなかろうか。
私がnoteにこうして書き記して他人に晒しているのもたぶん同じこと。誰かに受け止めて欲しいのだ。
つまり、
人は孤独な生き物なんだけど、
孤独じゃ生きれないんだよ。
というメッセージを受け取った気がした。
尾崎は生きる意味を求め続けた人だった。
生きる意味なんて存在しないかもしれないのに。
存在しないと思えた方が楽なのに。
たぶん、それだけ彼がネガティブな感情と闘っていたのかな、と思う。
それだけ生きる輝きが欲しかったのかな、と思う。
「誕生」という曲を勇気を出してYouTubeで久々に聴いてみた。これは息子が産まれた時に作った曲。
MCで人生についてこうも語っている。
「人生なんて、毎日少しずつ自分の心の財産を支払いながら生きていくようなもんだ。だから、まだ時間があると思う人は、これからまだ何か出来ると思う人は、今のうちにうんとたくさんの心の財産を蓄えておくといいと思う。(中略)みんな頑張ろうね。」
「心の財産を蓄える」は分かる気がしたが、
「心の財産を支払う…」とは何ぞや!!
あー、やっぱりこの人の頭ん中にはまだ到達できないんだよなー。
この意味が分かるまで尾崎を知り尽くそうと思った。
私は結局、生きることの意味や価値を見出したい人間なのかもしれない…。
「人は生きてさえいれば幸せ」
この言葉で自分を保てるのならとても良い言葉だと思う。
でも私の心には響かなかった。
私の人生には寄り添えないだけだ。
生きる意味なんてないのかもしれないのに、
生きる意味を考える。探し求める。
歌って外の世界に晒す。
書いて外の世界に晒す。
今日あったこと、今日思ったことを誰かに伝える。
誰も一人じゃ生きられないのだ。
それでいい。
人間だもの。
すみません、結局尾崎の話になってしまいました…。
尾崎豊
「誕生」
尾崎と対峙するにはめっちゃ力が要ります。
それだけ私の中では特異、特殊な音楽家です。
でも尊い。ご興味あれば聴いてみてくださいませ。
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