Episode 501 "Reset"せざるを得ないのです。
私は以前のnote記事で、自閉の構造として「私の意見があなたの意見と異なる場合、違いを認めて摺り合わせ、妥協点を見出していくことが難しい」と指摘しました。
それは周囲の方との関係を身に付ける能力に乏しい脳構造を持って生まれてしまったが故に発生するのだと感じています。
ただ…「なぜ周囲の方との関係を身に付けられなかったのか」に関しては「コレ!」っていう決め手になるような何かがあるワケではなく、当事者によってそれぞれなのだと思います。
私は聴覚と触覚に過敏があり、人との物理的な接触を嫌ったことが大きな要因なのだろうとは思っていますが、それだけではなくて、家族との関係など「身近な人との関係」などの育成環境も大きく影響していると思います。
例えば私には姉がいるのですが、姉じゃなくて妹なら、今と同じように育ったとは思えないのですよ。
何れにしても、上手に他者との関係を調整することが難しい(≒自分の考えの修正が難しい)から、自分の気持ちを仕舞い込んで「世間体」や「常識」という社会が作りあげた価値観を自分の行動規範に据え変えた…と私は考えているのです。
その辺りのお話しは、この記事を読んでいただきとして…。
さてさて…先日、Twitterでこんなツイートを見ました。
以下、すの子 (@sunocots) さんのツイートはこのように続きます。
以前に私は、ASD男性を白鳥、ASD女性をツバメに見立てた「オトギバナシ」というマガジン連載の記事で、女性が背負う社会的な「足枷」についてお話ししました。
すの子さんがツイート内で指摘する『「女らしさ」の擬態は理不尽から身を守るためのもの』だということについては、私も理解していたのです。
ただ、その先…ツバメが母親としてヒナ(子ども)を育てるときに、どのように感じているのかは考えが及びませんでした。
以下、すの子さん(す)と私(H)のリプのやり取り…
母の方がASDっぽいところが強くて、「一度こうだと学習したことが間違っていると分かっていても、なかなか切り替えできなくて苦しい」…この一言が衝撃的。
ASDが社会的規範で自分の価値観や役割を固定するのは、生きるための知恵なのですが、社会的規範は自分の本意ではないのです。
ただし、その社会的規範を守ることで自分の居場所を確保していることは間違いない事実でして、居場所を確保するためには社会的規範が揺らいではいけないのです。
なぜASDである私が、失敗の経験を生かして "Continue" することができずに経験を "Reset" してしまうのか。
それは私自身を守るための拠り所とする社会的規範は「確立された決定事項」であって、それを調整して変更を加えることは許されないから…。
社会的規範には自分の意思が含まれていないから、自分の思うように変更することが許されないワケです。
必要に迫られて "Reset" を選択せざるを得ないのではないか?
自閉傾向の「自己完結」がもたらす「社会的価値観」の固定で自分の気持ちを誤魔化すASDの傾向が、経験を糧にできない "Reset" を作り出すのではないか?
すの子さんとのやりとりで、ASD傾向の重要な「ふたつの特徴」が繋がって「ひとつの特徴」になった気がします。
これは私が思う当事者の感覚の話で、医学的に証明されているワケではありませんし、すべてのASDに共通するとも思いません。
ただ、腑に落ちる、納得する…が、できた。
この納得感こそが「自己理解」ということなのかもしれない…と、思うのです。
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