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Episode 501 "Reset"せざるを得ないのです。
私は以前のnote記事で、自閉の構造として「私の意見があなたの意見と異なる場合、違いを認めて摺り合わせ、妥協点を見出していくことが難しい」と指摘しました。
それは周囲の方との関係を身に付ける能力に乏しい脳構造を持って生まれてしまったが故に発生するのだと感じています。
ただ…「なぜ周囲の方との関係を身に付けられなかったのか」に関しては「コレ!」っていう決め手になるような何かがあるワケではなく、当事者によってそれぞれなのだと思います。
私は聴覚と触覚に過敏があり、人との物理的な接触を嫌ったことが大きな要因なのだろうとは思っていますが、それだけではなくて、家族との関係など「身近な人との関係」などの育成環境も大きく影響していると思います。
例えば私には姉がいるのですが、姉じゃなくて妹なら、今と同じように育ったとは思えないのですよ。
何れにしても、上手に他者との関係を調整することが難しい(≒自分の考えの修正が難しい)から、自分の気持ちを仕舞い込んで「世間体」や「常識」という社会が作りあげた価値観を自分の行動規範に据え変えた…と私は考えているのです。
その辺りのお話しは、この記事を読んでいただきとして…。
さてさて…先日、Twitterでこんなツイートを見ました。
実家に立ち寄り、以前から聞きたかった母の生育歴などについて詳しく聞く時間に恵まれた。リベラルな家庭に育っても、社会に揉まれてジェンダーロールに倣う言動を選ばざるを得なくなった葛藤など、私にとって興味深い話が聞けた。
— すの子(ツイートの無断転載はご遠慮願います) (@sunocots) December 29, 2020
以下、すの子 (@sunocots) さんのツイートはこのように続きます。
彼女にとって「女らしさ」の擬態は理不尽から身を守るためのもので、知恵を伝えたつもりの思春期の娘(私)に反発を受けたとき「実はちょっとほっとした」のだとか。「長年の癖はなかなか抜けなくて嫌になるけど、男らしさとか女らしさとか、そこに縛られるのはバカバカしいよね」と母。
私に「女の子なんだから」と言わなかった父、実は「男ばかりの兄弟だったから、女の子の扱いが分からない」と、私の誕生を喜びつつも戸惑っていたらしい。「男でも女でも基本は人間。あなたらしく誠実に接すればいいんじゃない?」と母が助言したことで、私を「人間」として扱うようになったと判明。
そうは言いつつ、長年の癖で私に「女の子だから」と言ってしまったとき、父がサッと話を止めてくれていたのだけど、「男だろうが女だろうが人間だよね?それを教えてくれたお前に、俺は感謝してる」と、父は後で母に伝えていたらしい。
以前に私は、ASD男性を白鳥、ASD女性をツバメに見立てた「オトギバナシ」というマガジン連載の記事で、女性が背負う社会的な「足枷」についてお話ししました。
すの子さんがツイート内で指摘する『「女らしさ」の擬態は理不尽から身を守るためのもの』だということについては、私も理解していたのです。
ただ、その先…ツバメが母親としてヒナ(子ども)を育てるときに、どのように感じているのかは考えが及びませんでした。
引用失礼します。
— Ho+(HOTAS) (@HOTAS10001) December 29, 2020
この話…社会的な規範に巻かれる「ツバメ」の正体を見た気がする。擬態は発達障害に限らず、社会的弱者が生き延びる知恵として使う「脳ある鷹は爪を隠す」の一種なのか…なんて思ったり…。
出る杭にならない…というか…。 https://t.co/lJY5cxYFAc
以下、すの子さん(す)と私(H)のリプのやり取り…
(す)母の実家はリベラルというかジェンダーロールがん無視で、「みんなが得意なことをこなして支え合おう」な家庭で、母は発想力や人身掌握術に長けていたにも関わらず、社会に出て徹底的に叩かれてしまったらしいのです(これは母と一緒に仕事をしていた方からも聞きました)
(H)女性はこうあるべき、三歩下がって…なんてのが罷り通る時代であったのでしょうね。
「女のくせに」って軽視されるから、男性の好む女性像を擬態する必要があった…と。
変わるべきは男性側であって、女性が無理に強くなる必要なんかないのに…って。
(す)そうなんです……。それで仕事でもかなり理不尽な苦しみを抱えるはめになったらしいです。
「そんなの許せねえ!俺が一緒に戦ってやる!」と申し出たパートナーこと父が、天才肌だけど超病弱だったのがまたアレなんですけど……(でも父ちゃんかっこいいと思います)
(H)おぉう!父ちゃんカッケー!
でも、一概に戦うだけだと難しいかも…どうやったら良いのか、結果的に中庸を目指すことになるのかもしれません。
その戦った結果がお母様のお話なのかな…って思います。
ステキなご両親ですね…羨ましいです!
(す)もちろん「戦う=異論を主張する」だけではなく、様々なアプローチを考えていたようです。
あとですね、今思うのは母の方がASDっぽいところが強くて、「一度こうだと学習したことが間違っていると分かっていても、なかなか切り替えできなくて苦しい」のだとか……。
(H)なるほど。
ASD特性のリセットって、学習した知識の固定が要因って納得。
それは私も心当たりがあるなぁ…。
(す)「性的役割についてうるさくない家庭に育ったはずなのに、社会で身を守るための癖が未だにぬけなくてね……」と申しており、私は聞いていて、涙が出そうになるのを必死に堪えていました。
母の方がASDっぽいところが強くて、「一度こうだと学習したことが間違っていると分かっていても、なかなか切り替えできなくて苦しい」…この一言が衝撃的。
ASDが社会的規範で自分の価値観や役割を固定するのは、生きるための知恵なのですが、社会的規範は自分の本意ではないのです。
ただし、その社会的規範を守ることで自分の居場所を確保していることは間違いない事実でして、居場所を確保するためには社会的規範が揺らいではいけないのです。
なぜASDである私が、失敗の経験を生かして "Continue" することができずに経験を "Reset" してしまうのか。
それは私自身を守るための拠り所とする社会的規範は「確立された決定事項」であって、それを調整して変更を加えることは許されないから…。
社会的規範には自分の意思が含まれていないから、自分の思うように変更することが許されないワケです。
必要に迫られて "Reset" を選択せざるを得ないのではないか?
自閉傾向の「自己完結」がもたらす「社会的価値観」の固定で自分の気持ちを誤魔化すASDの傾向が、経験を糧にできない "Reset" を作り出すのではないか?
すの子さんとのやりとりで、ASD傾向の重要な「ふたつの特徴」が繋がって「ひとつの特徴」になった気がします。
これは私が思う当事者の感覚の話で、医学的に証明されているワケではありませんし、すべてのASDに共通するとも思いません。
ただ、腑に落ちる、納得する…が、できた。
この納得感こそが「自己理解」ということなのかもしれない…と、思うのです。
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