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Episode 500 持ち帰るのは気持ちです。

地方都市で発達障害に関する小さな自助会を主催する私は、今年(2020年)9月に就任した菅首相が「自助」「共助」「公助」という言葉を掲げたときに、「自助って何だろう?」と思ったのです。

私は以前、私が思う「自助」ついての「私の考え」を記事にしたことがあります。

私はこのnote記事で、政治の話や誰かの批判をする気はありません、その上で…。
恐らく首相が念頭に置いている認識としては「社会(経済)保障」を中心に考えると分かりやすいのでしょうね。
「自ら働き生活する(≒自助)」「病気や介護の必要な人を社会保険を中心に社会全体で支え(≒共助)」「虐待の防止といった人権擁護の対策や生活保護など、人が生きていく上での最低限の生活をセーフティーネットとして保障する(≒公助)」という意味として考えれば良いのかな…と。
もちろんそれだけではないのでしょうけれど、意味あいを理解するにはこれで良いかな…と思います。

私は先に記したnote記事の中で、「生き延びるためにそれぞれの知恵を持ち寄り自助のコミュニティを作る」と指摘しました…それを踏まえて。
私が指摘した「自助」と、首相が掲げた「自助」の共通点として浮かび上がるもの…それは「自ら動き、自ら掴み取る」なのかな…と思います。

自助会とは、自らの知恵を持ち寄り、使えそうなものを持ちかえるもの。
持ち寄るのも、持ち帰るのも、自分がすること。
会場に足を運ぶ…それが仮にオンラインのものであっても、自分の意思でオンラインに接続する操作をするワケで、聴いているだけの「聞き専」であっても「参加しようとする動作」は自らの意思だということ。
自助会に参加する時点で「自ら動く・持ち寄る」はクリアしているワケで、あとは「何を持ち帰るのか」だということ。

私が目指す自助会の形は、自らの障害をオープンにした上でテーマを決めない井戸端会議(雑談会)をして、共に泣き、共に笑い、「スッキリした気持ち」を持ち帰るもの。

今年お会いできた皆さまに感謝。
note記事を読んでくださった方に感謝。

来年も何もない自助会にみんなで「出会い」を持ち寄り、「気持ち」が持ち帰れますように。

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