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Episode 563 主張するのが怖いのです。

先日、私もCOVID-19と呼ばれるコロナウイルスのワクチン接種(1回目)を受けて来た…というのは、先日の記事で書いた通りです。

「ワクチン接種」という出来事に思う、発達障害の特性のハナシ…前回のお話は「自分事にならないと興味が出ない」という指摘から「相手が消えてしまう自己完結思考」について考えたのですが、今回は「状況に流される受動傾向」を探ってみようと思うのです。

先日、このワクチン接種の件で、私はこの様にTwitterに投稿しました。

結論から言うと、私は利き手である左腕にワクチン接種を受け、副反応である接種部位の痛みに地味に苦しんでしまった…ということです。
何だかんだと言ってやはり利き手って使うんですよね。
普段と違って患部に痛みがあるので、なるべく右手を使おうとするのですよ。
でも、ふとした拍子に左手が動く…アタタ。
多分、ちょっとした動作での左右比は7:3くらいかな。
そのくらい私の左手の動作量は右手より多い気がします。
当然、右利きの人は右手の利用が増えるから、右手の動作量が増える…当然ですよね。

世の中はご存知の通り、右利きの人が多いワケです。
このハナシは私のnote記事にも「想像しやすいマジョリティ・マイノリティの例」として頻繁に登場するのですが、今回の舞台「自治体主催のワクチン大規模接種会場」もまた、わかりやすくマジョリティ仕様だったのですよ。
案内表示も接種ブースのセッティングも、左腕接種が前提の右利き仕様。
この状況の中で、私は流されるまま利き手である左腕にワクチン接種を受けてしまった…と、いうことです。

ところで、ワクチン接種は利き手とは逆の腕に打つと言うことに、明確で信頼できる情報があるのですよ。

日本感染症学会からの「COVID-19ワクチンに関する提言(第2版)」には、「接種する腕は、接種部位の疼痛に備えて、利き手ではない側に接種することが望まれます。(中略)ただし、1回目の接種部位に著明な局所反応を認めた場合、2回目は反対側に接種することも可能と思われます」…と記載されています。

私もこの情報を予め聞いていれば、利き腕にワクチン接種しないで済んだのかもしれません…でも。
そうとも言い切れない気がするのですよ。

何と言うのかな、右利き仕様に慣らされている私…でしょうか。
流れに乗ってスムーズに動くことを求められた時、向きを変える動作を挟むことで流れを変えることを望まない…と言うことでしょうかね。
私がガマンすれば済むこと、どちらの腕に打っても効果が変わらないのなら、敢えて主張する必要はない…と思ったのは事実だった気がします。
そして、これは典型的な「ASD受動型」の行動だな…と、後から思ったのですよ。

ここには添付した記事に書かれた、「対等な関係の欠如」というASDの欠点が顔を出しているように思うのです。
つまり、ワクチン接種する側(自治体/運営側)とワクチン接種を受ける側(私)の関係は対等であるハズなのに、私は自分の意思を完全に隠して運営側の意思に従うを選択した…と言うことです。

「私の意見を調整することができない」ASDの私が、あなたとのやり取りで自分の意見を調整しない…となれば、あなたに私のやり方を押し付けることになります。

受動傾向のASDは、自分の意思の発動に恐怖がある…と言うことです。
なぜならば、自分の意思の発動で、散々痛い思いをしてきたから。

「自分の気持ちのコントロールができない」自閉性質は、あなたが傷つくことへの理解ができず、あなたが気持ちの融通をし始めても、私の「我」を突き通すことになる…大人にここを咎められるワケですよね。
咎められないように「何らかの融通する手段」を編み出さなければならないASDの私は、自分を封印した上で、あなたが何を考えているのかを観察する様になる…ではないか?

受動傾向ASDの「受動性」とは、この恐怖感に支配された世界なのだろう…と思うのですよ。
これを分析して文章に仕立てる私が、無意識の内に防御に入る先がASD受動傾向の行動のコレ…。
分かっていても上手にできないのは、もうどうしようもないのだと思います。

だからこそ、出来ないことを受け入れて、できなかったことを振り返るが必要なのだと思うのです。

2回目のワクチン接種は来月の初旬…この「失敗」をキチンと振り返ったからね、今度は「右腕にお願いします」と、しっかり言えるようにしたい…と思うのです。

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