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Episode 474 「感想戦」をするのです。

私は将棋の心得がないので良く分かりませんが、藤井聡太棋士が最年少で二冠を達成して大きな話題となったことは記憶に新しいことです。
将棋は対局の後に「感想戦」とよばれる『対局後に開始から終局まで、またはその一部を再現し、対局中の着手の善悪や、その局面における最善手などを検討すること(Wikipediaより)』を行うのが通例で、どこがいけなかったのか、何が勝敗を分けたのかをお互いに理解し、今後の自らの「棋力」の向上に繋げる…ということをするのだそうです。
藤井二冠も、多くの「感想戦」で得たものが、そのタイトル奪取に大きな役割を果たしているのだろうと、素人ながらもそう思うのです。

前回の記事でASDが自覚に至る過程を将棋にたとえ、「詰み」を理解して「投了」することが大事だとお話ししました。
つまりね、投了して対局を終了するところまでが「自覚」だということです。
私は「自覚」したASDが「自認」するということは、「感想戦」を行うことだと思うのです。

詰みの状態を理解し、そこから抜け出せないと自覚したASDの私は「投了」することを選びます。
ただ、将棋の対局と決定的に違うことは、「投了=敗戦」ではない…ということ。
背筋をピシッと伸ばし険しい顔で将棋を指していたあなたと私は、投了後はお互いの健闘を讃えながら「すれ違うポイントという対局のツボ」を指摘する棋士同士になるということです。
前回の記事でご紹介させていただいたLuさんの記事を引用すれば、

結局定型のパートナーが望む「自覚」とするためには彼らから何度もダメ出しを受けながら根気よく自分の特性を客観的に見つめ行動を修正するしかないのですが、パートナー側も「何でここまでわざわざ言わないといけないの?」と疲弊してしまうし当事者も「そこまでズケズケ言わなくてもいいいじゃん」と凹んでしまいます。
根底にお互いに対する「あなたとこれからもよい関係を続けたい」という気持ちと信頼関係がないと上手くいかないかもしれませんね。

ということです。

間違えてほしくないことは、ASDという特性は、個人によって現れ方が違うので汎用の対処策がないということ。
そして、自覚しても、自覚したからと言って定型のあなたと同じように考えて行動することはできないということ。
だから、自覚しても、ASD由来の不具合を減らすことはできても無くすことはできないということ。

だからね、定型のあなたとASDの私が良い関係を保つには、常に感想戦をしていかなければならないのです。
盤上には「あなたの考え」というASDの苦手が転がっているわけですよ。
それを冷静に見ていかなければならないわけですよ…私も、あなたも。

ASDの自認とは、何度も何度も、感想戦を行う勇気を持つこと。
それの相手をしてくれるパートナーに感謝すること。
そして、これからお話しする罠にはまらないこと…なのです。

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