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Episode 658 絶望感を感じます。
もしかしたら、最後の記事になるかもしれません。
私がASDの診断を受けてから8年の月日が過ぎ、その間にできる限りの自己分析と問題点の改善に努めてきたつもりです。
でも…どうしてもできない、人間として基本的なことで、とても大切な人を悲しませてばかりいる私がここにいます。
それは本当にASDが原因なのか、それとも私のASDを認めたくない「悪足掻き」が原因なのか、はたまた全く違う原因が他にあるのかすら分からないのです。
「私とは何ぞや」
それは多くの方が幼少期に経験する自我の芽生えから、思春期で思い悩み、青春ものやヒューマンもののドラマで描かれるように悩み、ぶつかり、受け入れることで獲得するものなのでしょう。
残念ながら、40歳を過ぎて自我に気が付き、50歳を過ぎてしまったいまに至って尚、自我を上手く理解できない私がいます。
そこには、「あなたならどう思うのか」という視点の弱さから来る「私の行動の影響」の理解不全が存在するのだろうと思います。
私の発言は、常に「自分語り」なのです。
それは、どれだけ私があなたの気持ちを慮って発言した言葉であっても「私ごと」…もっと言えば、あなたを慮るほどに、あなたの求めている「だろう」ものを推測する「正解探し」になるワケで、こうなってしまえは、私の発言に私の気持ちすら乗らないワケでして…。
それを分析して、そして「できるようにならん」ということを、私自身は理解しているのです。
そしてそれを諦めて手放すことが大切だと言うことも。
何度も言いますがASDは「自閉」なんですよ、自覚したから自閉が消えるワケではないのです。
— ዘዐ+(ዘዐፕልነ) (@HOTAS10001) October 13, 2020
だから、自覚したASDとは言え、ASDの思考・行動のパタンを完全に消し去ることはできないのです。
だからね、あなたが予想できないガッカリさせるような言動がポロリとこぼれることが、なくならないのです。
そして…それでも尚、諦め切れない私が、ここで管を巻いているのです。
大切な人を手放したくない一心でしがみつき、その結果として、関わる全ての人を悲しませているワケでして。
そんな私自身が、本当にイヤになりました。
私は、一体、何をしてきたのでしょう。
私は、一体、何者なのでしょう。
分からない、消えてしまいたい気持ちでいっぱいになっている私がいます。
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