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Episode 105 知らずに擦り切れてしまうのです。

私の苦しかった営業マン生活は、2002年の春の定期異動で工場での事務方に配転されるまで2年半続きました。

転勤を言い渡されたときは、ホッとしたのが半分と悔しさが半分でした。
3年間続けられなかった、続けさせてもらえなかった…その時そう思ったのは本当のことです。
でも、外回りの営業は明らかに私の得意分野ではありませんでした。

では何故、得意だと思えない外回り営業を、苦しみながらも続けていたのか…ですが、
基本的に所属している組織を辞めるという思考が存在しない
最低3年間は同じ仕事をしないと、本当のところはわからない
③支えなければならないものがいっぱいあった。
の、3つに集約されると思います。

前職は極限まで追い込まれて退職していますが、そこまで追い詰められている感がなかった…。
今思えば、結局のところ「〇」か「×」かの両極思考が働いて、かなり「×」に近いグレーゾーンであっても「×」になっていないから「〇」にカウントされてしまったというのが本当のところだと思います。
もう少し営業で「放置」されていたら、前職を退職する時のようにボロボロになるまで自分自身が追い込まれていることに気が付かずに、ダウンするまで突き進んでいたことでしょう。
そして、家族もいてパートナーとともに守らなければならないイロイロが増えていたことも退職しなかった大きな要因です。

結果的には配転されることで潰れるまで摺り切れずに済んだのですが、当時の私はそう考えていたかと言えば、結果が出せない自分自身にガッカリしていた方が強かったかもしれません。
良く「営業は花形」って言われるじゃないですか。
最前線の現場で答えが出せなくて引っ込められたという気持ちがどこかにあったのだと思います。
変なプライドがあった…そう言う事だと思います。

このころの私自身に、自分にASDという発達障害があると言う認識がありません。
自分の「ちょっとちがう」には薄らと気が付いていましたが、確信に至ってはいません。
確信に至らなければ「×」になりませんから、「普通の人」として「〇」という判断にもなってしまいます。
だから、必死で社会に in しようとしていたのだと思います

私は社会に出て苦しむ前にキチンとした診断を受け、自分自身でそれを理解することが大事だと思います。
それを公表するかしないかは、また別の問題…今の世の中、発達障害への認知は高まってきていますが、それが正しく認知されているかは時と場所に依るのが現状です。

もしも自分自身で発達障害のことを認識していたら、営業職をしていたかどうか…。
すり減っていることに気が付かないタイプのASDには、苦手分野はかなり危険です。
まだやれる、まだやれる…まだ大丈夫。
限界までやって、精神的に壊れる。

周囲の理解とアドバイス、それを素直に聞いてキチンと診断を受け、自分自身を受け入れること。
言うは易しですが、みんなそうあって欲しいのです。

「大人の発達障害」なんて言葉があります。
大人になってから発達障害が発覚するケースの人を指しての言葉で、私もそのうちの一人です。
大概、この診断を受ける人は、社会で苦しんでから診断を受けます。

苦しむ前にキチンと診断を受けて、自分自身と向き合い、得手不得手を把握すること。
それは自分自身を守るために、すごく重要なことだと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2018/12/28

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