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Episode 628 不利益は受容できません。

ASDの受動型とは「何も考えずに全てを受け入れる」という意味ではなく、自分の大切な意思を守るために、「積極的に」人とのコミュニケーションを避けるという「意思を持った行動」だと考えます。

前回の記事は私なりに大きな発見のある記事でした。
自分の身体感覚に起因する好き嫌いが、「受動型」を行動のベースにする私のような人であっても「耐え難い不快感」として残っていることから、自分の過ごしやすい環境を整えるために自らの意思を表に出すことを封じただけで、自我を持ち合わせていないワケではないことを理解したのです。
いや、分かっていたのだと思うのですよ。
ただ「どうやって世の中をサバイブしていくのか」を考えた時、自分の意見を表に出さない方が上手くいくことを学んだ結果として、受動型のASDはあなたの意見に迎合するワケです。

ところでですね、何度もこのアカウントの記事でお話ししているように、私は教育学部の学生だった過去を持つのですよ。
基本的には歴史を勉強したくて選んだ学部だったワケで、文学部史学科か教育学部社会科か、当時の私はどちらでもよかったのです。
ただ…教育学部に入れば基本的に「教職を目指す」ことが大前提となるワケでして、ハナから教職の目指していない私といえど、周囲の雰囲気から「教員採用試験を受けようか」と思わなかったワケではないのです。
結果として私は民間企業への就職を選ぶワケですが、「民間に行く」を決定づけたものは、結局のところ「自我」だったのだと思うのですよ。

大学の学部の中には職業訓練的な学部が幾つかありまして、医学薬学系の学部と教育学部はその典型なのです。
その学部に入った時点で、対外的に「どんな職業を目指しているのか」が明確になりやすいという意味です。
当然、教育学部に入った私も「そういう目」で見られていたワケですよね。

ただ、当時の私に「どうしても教師になりたくない理由」が見つかってしまいました。

大学で学んだ歴史学は大変おもしろいものでした。
それに引き換え、高校までに習った歴史学に面白みは全く感じません。
その面白くない歴史を教えることを「生業」とすることを良しとするのか…という自問自答に、私は「教職に就かない」という答えを出したワケです。

これに猛烈な反対意見を唱えたのが両親です。
「何でまた『先生』という『聖職』を蹴って民間企業へ?(意訳)」という大反対があったのは事実でして、多くの人に敬われる教師という社会的立場が明確な職業を蹴る理由が、当時の両親には分からなかったのでしょう。

この反対を払って民間企業への就職を果たした私は、教職に就くことで発生する「自我」への不利益を、どうしても受け入れることが出来なかったのだと思います。

私は中高生時代時代には、すでに受動型ASDの様式を確立していたと思います。
それは先日、「潜伏型(≒良い子)ASD」という造語を使って記事にした通りです。

その「良い子」の確立に必要な条件は、「自分の利益と合致する納得感」があることです。
その安心感に乗って「良い子」を演じるワケですから、納得感が崩れた時点で「良い子」を演じる意味を失うことになる…だと思うのです。

その納得感のないことへの恐怖が「周囲との意見調整」などというコミュニケーションを駆使する方向に向かず、リセットや破壊につながりやすいのはどのタイプのASDでも共通なのかもしれません。
コミュニケーション能力がトレーニングされていない(またはトレーニングできない)状況がどのタイプのASDも同じだとすれば、それは納得いくでしょう。
ただ…おとなしいとされている受動型の場合、「豹変」するように見える可能性は否めません。

このように私の過去を題材に考えた時、やはり放置され埋もれてしまうASDを発見してケアする必要性を強く感じるワケです。
私がASDの早期発見に拘るのは、こんな経験があるからこそです。

先ずは発見すること。
その後のケアは、発見した後に考えること。
同時にやろうとせず、先ず最初のステップが必要だと感じるのです。

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