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Episode 557 「恐怖」を知って欲しいのです。

何度も言いますが、自閉性質の核心は「自分の気持ちのコントロールができない」だと思っています。
たったそれだけのことが多くのトラブルを引き起こす…そう言うことです。

前回の記事で「我の尖った部分を折り曲げて融通すること」を覚えることで、人は「人格/パーソナリティ」というペルソナを作る…とお話ししました。

ここには「あなたと私は違うことを考える個人である」という当たり前の感覚が働くワケです。
この感覚は「ペルソナを作る過程で真っ先にぶち当たる壁」なのですが、ペルソナを上手に作れなかった私は、この壁を意識できなかったのではないだろうか…と思うのです。

かなり前のことですが、サリー・アン課題に代表される誤信念課題の当事者感覚についての記事を書いたことがあります。
この記事の中で私は、「私の目線」の理解はできても「あなたの目線」の理解ができない…という感覚を否定したのです。
そうではなくて、私の目線は一人称ではなく、観客席から眺める三人称に近い…という意見です。
この記事を書いたのは2018年10月のこと…。
その当時はまだ私は、自閉性質の核心は「自分の気持ちのコントロールができない」だと気が付いていないワケでして、サリー・アン課題が理解できない理由として、自分も含めて上空から物語を俯瞰するためと説明したのです。
そして、この感覚こそが「ペルソナを作れない理由」になるのです。

つまりですね、「あなたと私は違うことを考える個人である」という視点が育たないのですよ。
私が一人称の立ち位置に立って初めて、「あなたの立ち位置と違う」と認識するワケですよ。
ところが一人称の立ち位置に立てない私は、ストーリーテラーを求めるのです。
「私の気持ちの解説」…は、私ができるから置いておいて、あなたの気持ちの解説が欲しいワケです。
でも、「あなたの気持ちの解説者」が私の隣にいてくれるハズもなく、仕方がないから私は自分であなたの気持ちの解説を試みるワケです。
これで「自分も含めて上空から物語を俯瞰する」状況の完成です。
第三者位置に立った私は「あなたの気持ちも私の気持ちも手に取るようにわかる気でいる」…ということですね。

つまり、ひとり「ままごと」ということですね。
右手に私、左手にあなたを持ち、「ねぇ、あなたはどう思うの?」
「えーっとね、ぼくはこう思うんだよ」
「ふーんそうなの…」
…と言うように一人でストーリーが進んでいくワケです。
何しろ、私がストーリーテラーですからね、私の思うとおりに進むに決まっているのです。

ところが現実は「あなたと私は違うことを考える個人である」から、「我の尖った部分を折り曲げて融通すること」が必要なのです。
誤信念課題の正答率が上がる4~7歳ごろにかけて、人は「あなたと私は違うことを考える個人である」ということを学ぶということです。
それは即ち、「自分が一人称の立場に立つ」ことを理解する…ということです。
そしてこれこそがペルソナを作りあげる最初の一歩であるワケです。

一方、「ペルソナ(仮面)」の形成が上手くいかないASDの私は、「マスク(お面)」を借りて来て被るのです…いわゆる「受動傾向」のASDがこのタイプ。

借り物のマスクには私の意思は反映していませんから、あなたが私が被っているマスクに向かって「あなたの意見は?」と聞いても答えは返ってきませんよね。
マスクを被っている私は「三人称の私」…と言うことです。

私の真意を聞き出したいあなたは、私に意見を求めるワケです。
でも私の意見を出すことを「三人称の私」が拒むのです。

自分の意見が言えない…というのは、一人称の立ち位置に不安があるASD受動傾向の防衛本能なのでしょう。
三人称の立ち位置で、私とあなたの意見を見比べ、社会的常識というマスクの穴から「より安全に近いもの」を見極めて、あなたが納得する(であろう)正解を置きに行くことで社会を泳いでいるワケですから、あなたの意見が見えない位置で私の意見を求められることに恐怖を感じると言うことです。

如何に一人称の視点を持ち得るのか。
恐怖を乗り越えるという課題…そこには信頼関係で結ばれたパートナー(支援者)の、一人称容認の姿勢があるように思うのです。

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