見出し画像

Episode 579 補正の方法はイロイロです。

1970年生まれの私は今年で51歳になりまして、このくらいの齢になれば老化現象があちこちに姿を現すのです。
髪が薄くなったり白髪になったり、シワが増えたり…もちろん個人差があることで、そうではない方もいらっしゃるのでしょうけど。
そんな私の老化現象の中に「老眼」もありましてね…。

老視(ろうし)は、目の障害の一つ。
老眼(ろうがん)とも呼ばれるが、老視が正式名称。

加齢により水晶体の弾性が失われて調節力が弱まり、近くのものに焦点を合わせることが遅くなったり、できなくなってくる。(Wikipediaより)

よく「近視の人は老眼にならない」なんて言うことを聞いたりしますが、それはウソです。
実際に私は近視用のメガネをかけているのですが、30歳代の中半から老眼の診断を受けてましてね。
近視の人は老眼になっても老眼鏡を使用しない人がいる…って辺りで「老眼にならない」と思うのでしょうかね、それ専用のメガネを使用しているのを見ないから、傍目には「老眼の症状がある」と理解されないってことなのでしょうね。

近視の人が老眼鏡を使わない理由は、近視用のメガネを外すことで老眼鏡をかけているのと同じ効果を得られるからです…というのも。
老眼鏡は凸レンズで出来ているのですよ。
その屈折率によって弱い方から「+1」「+2」「+3」…と度数が上がるワケです。
その考え方から言うと、裸眼は「±0」と表現できるわけでして、例えば手元は「+2」の老眼鏡が必要な人でも、遠くを見るのに裸眼でOKなら、手元と遠方に「度数2」分の差があることになる…ということです。

では近視の私は…というと、遠くを見るのに近視用のメガネをかけるワケです。
近視用のメガネは凹レンズで出来ていてですね、その屈折率によって弱い方から「-1」「-2」「-3」…と度数が上がるワケです。
遠くを見るのに「-2」の度数のメガネが必要な私が、手元を見るときに近視用のメガネを外すとは、裸眼「±0」で近くをみるということでして、つまり手元と遠方に「度数2」分の差があることになるということになるのです。

遠くを見る…をベースに考えた時、裸眼「±0」で見える人と近視メガネ「-2」が必要な私では、はっきり見えるスタート地点の数値がズレているワケです。
そこから近くを見るためにプラス側に「度数2」分動く…の答えは、遠くを裸眼「±0」で見る人は「+2」だし、近視「-2」の私は「±0」である、結果的に私は凸レンズが付いた所謂「老眼鏡」を使わないことになるワケですね。

ところで…なんでこんな「老眼」なんて話題を出したかと言うとですね、「個人内のベースからの位置」という視点が障害の理解に重要だと思ったからなのですよ。

以前からIQの高さと発達障害の有無は関係ない…を、どうやって説明しようかと考えていたのですよ。
同じ見るでも老眼になれば焦点を合わせるために必要な「補正量(度数)」が距離によって異なるから、遠くから近くに焦点距離が変化するすれば、必ずそれに合わせたアクションが必要になる…ここが重要なポイントなのですよ。

総合的なIQは、能力を示す指標にはなります…これは間違いありません。
その上でWAIS-III の場合であれば、言語性IQと動作性IQというふたつの指標があり、言語理解・知覚統合・作動記憶・処理速度という4つの群指数が示されることになるワケです。
それぞれの平均が100なのはご存知の通り、100を超える項目は平均以上の能力で、それを下回れば平均以下…なんて単純なものではありません。

以前に私は4つの群指数の結果を運動会の種目に当てはめて考えると、自分の強みを理解しやすいのでは…という記事を書きました。
その中で私は…


それぞれの群指数や検査項目の指数や評点を「1:1」で比較します。
その時にイメージするのが「かけっこ」と「綱引き」と「二人三脚」です。
どちらが速いのか、どちらが強いのか、バランスが取れているのか…比較するのはこの3点。

…と指摘しました。

問題はバランスが取れない群指数(または各検査項目の素点)の「差の量」にあって、その点数の高さにはあまり関係ない…ということ。

100m走で考えましょうか…「100を10秒、そこからの差を10に付き1秒」と仮定します。
私の処理速度は97なので、上の仮定式に当てはめると10秒3になります。
一方、知覚統合は114なので、同じく「100を10秒…」と仮定したとき、114は8秒6になります。
こうやって比較すると…はい、勝負にならない差が見えてきます。

Mensa会員の基準であるIQ130なら、100mを7秒ジャストで走る計算になるワケですが、4つの群指数が揃って130という数値である可能性は…低いでしょうね。
当然、群指数間のバラツキがあるわけで。
つまり、このバラツキ具合が、かけっこの勝負になる「惜しかったね!」に収まるか、大差が付く結果になるかということですよ。

先ほどの私の例の場合、処理速度と知覚統合の間には1.7秒の差があるワケで、この勝負を「惜しかったね!」にするためには「それを埋めるためのハンデ」が必要になるということです。
これはどんなに高IQであっても、指数のバラツキが17であれば、必ず1.7秒の差として表示される…100mを7秒ジャストと8秒7で…どちらも世界記録のとんでもない数字ですけど、傍目でその差は歴然ですからね、この勝負を「惜しかったね!」にするためには、私の場合と同じように「それを埋めるためのハンデ」が必要になるということです。

それで、その差を埋める方法のハナシになるワケですが、100mを7秒で走るMensa会員と8秒6の私では、ベースになる走力が違うワケですよ。
但し、埋めるべきハンデ量は1.7秒で一緒…この場合、同じ方法手段で同じように差が埋まるのか、と考えるワケです。

冒頭に戻り、老眼の補正を考えます。
そちらがMensa会員でこちらが私で…とは言いませんが、近くを見るために「+2」の補正を考えた時、ベースの視力が違うために補正する方法が、
①近視用メガネを外す
②老眼鏡をかける
という、違う方法での補正をすることになるワケですね。
この視点は、発達障害のアプローチが個人によって違う理由の解説になるだろう…と。

私の加齢による老眼が「障害のハンデとその補正方法」の説明に生きるなんて考えれば、歳を取るのも悪くないな…なんて思えたりもするのです。

だからといって、老化を歓迎しているワケではないのですが…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?