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230312 作り置きと変わる日常/「これでいいのだ」

昨夜は体力の限界が来たので翌日に更新。

12日日曜日はルーティンで作り置きから始まった。
毎週5品ほどおかずを作っておき、ちびちびと平日に消費していくのだが、妊娠してから思ったように体が動かず、難儀している。
先週は割としんどさがましだったのでいけるか!と思ったものの、料理中、特に料理後の疲労がすごかった。身体的な疲労はわかるけど、精神的なダメージを受けるのはなぜ?という気持ち。落ち込んだときのような、ズーンとした気持ちがずっと頭の中にあるような感覚。これが結構しんどい。
というか前は体がたまにだるいくらいで、こんなに気持ちの面でしんどくなかったような。よく聞くように、やはり毎回症状が変わるんだろうか。

とはいえ途中で投げ出すわけにもいかず、夫と協力しつつどうにか今週分の作り置き完成。どっと疲れ、結局一歩も外に出なかった。
メニューは、鮭の南蛮漬け/茄子の揚げ浸し/鶏むね肉とごぼうのピリ辛サラダ/牛すじと大根の煮物+お味噌汁、というラインナップ。美味しくできた(はず)。
ソファに埋もれながら、来週は体調どうだろうか、と不安になる。どちらにせよ、100%の体力ではないだろう。途方に暮れる思いで、体を引きずり早めに就寝する。

妊娠~育児に関して、未知のことが多すぎて戸惑う人がほとんどだろうが、個人的な課題として、完璧主義気味の性格を直さなければならないと思う。これでいいやと妥協するクセをつけておかないと、いつか絶対心が折れてしまうだろう。会社勤めを始めて数年で、「挽回の機会が〇日にある」だとか「残りの調整は明日にしよう」など、切り替えることを覚えた。でもそれだけではまだ十分でなく、まだまだ頭の中で「ここまでしなければ」気が済まないことが多々ある。その性格に救われている部分もあるが、この妊娠期に関しては足を引っ張っている事の方が多いように思う。
周囲にも、自分にも、これなもんでいいんだと思えるだけの余裕を持ちたい。というか早急に練習しなければ。

話は逸れるけど、いつか赤塚不二夫さんが亡くなったとき、タモリさんが読んだ弔辞はとても感動的でしたね。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

赤塚不二夫さん弔辞より

この「これでいいのだ」の一言は、歳を重ねるごとに深いなあと感じる。たとえばさっきのような場面、切羽詰まっている瞬間に「これでいいのだ」と思えているだろうか。実際、そんな風になれるのはまだまだ先だろう。
下を向くばかりでなく、上向きになれるようどうにか気を持ち直したいところ。そろそろしんどい。


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