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【考察】なぜ私はかくもダメになったのか

最初に言っておかなければならないことがある。これからお話することは、あくまでクソ凡人のダメ人間である私についてのどうでもいい考察であり、決して人様にお見せできるものではない。

こんなクソ記事を読むくらいならBiSHの「オーケストラ」(ライブバージョン)でも聞いて感極まっていたほうが有意義であることは言うまでもない。というか、私自身もくだらない考察を書くくらいならそうしたほうが身のためだ。というか今すぐYoutubeを開いて彼女たちの素晴らしいパフォーマンスに身をゆだねたい。

ではなぜ書くのか。答えはシンプルだ。「アイドルたちのキラキラした世界観に浸ってその尊さをめでることで己の醜さに蓋をし、あたかも自分もアイドルの一員になったかのような錯覚を起こすことで現実逃避をする」ことが限界に達するほど自分がダメ人間であることに気が付いたからなのだ。はっきり言って笑えないほどキツイのだ。暇な人はぜひ付き合ってみてほしい。

さて、私は中学のころまで秀才であった。試験では常に上位10位に入っており、学力だけでいえばクラスいや、学年でも一目置かれる存在だった。ひと学年100人近い学校だったから、常時上位10%に君臨していたことになる。これはエリート言っても過言ではないだろう。

しかし、今の私はどうだろうか。生気を失った顔で職場へ赴き、菩薩のような半目で日々の流れ作業に身を任せている。どこぞの携帯電話会社の接客用ロボットのほうがよっぽど気の利いた毎日を送っていることだろう。

いつしか惰性をむさぼるクソ雑魚ゾンビになり果てた私は、いつの間にか昔夢見ていたこともすべて忘れ去り、味のしなくなった食事を機械的に食べ、決して熟睡することはない睡眠をとり、そして死ぬほど憂鬱な朝を迎え、ボロボロになった心をアイドルやゲームで癒すという日々を送っているのである。こんな気の毒な大人になるなど、子供のころの私は想像すらしていなかった。もしも子供のころの私がタイムスリップして今の私を見たら、おそらく肛門に爆竹を詰め込んで点火することで心中を図るだろう(どうでもいいけど子供のころ爆竹流行ってなかった?)。

私はなぜかくもダメ人間になってしまったのか。私のようなダメ人間が醸成されてしまった要因を簡単に分析していきたいと思う。

ダメ人間の醸成方法①「毒親によるスパルタ教育」

まずは幼少期にさかのぼろう。冒頭でも述べたように、私は中学までは秀才といわれる部類に位置していた。学校の偏差値はお世辞にも高いとは言えなかったが、それでも上位に君臨していたことは事実である。なぜ私は成績が良かったのか? それは親によるスパルタ教育のせいである。

私の母親は塾の先生をしており、当然子供の私にも勉強をさせようと熱心だった。毎日のように宿題が出され(もちろん学校の宿題とは別)、宿題を忘れようもんならビンタがとんでくる。忘れていなくても問題を間違えれば叫び声にも似た怒声で詰められる。

スパルタ教育は勉強だけでなく習い事にもいかんなく発揮され、ピアノ教室に無理やり通わされたあげく、休日に友達と遊ぶことも許されずに頭を何度もたたかれながら練習をしていた。もう毎日のように泣いていたことを覚えている。

そんな無理やりな教育であるから、当然私のモチベーションはゼロに近く、まったくと言って上達しなかった。勉強のほうはそれでもなんとか成績が上がってきていたが、ピアノの方は絶望的なほどに才能がなかった。というか興味が全然なかったのだ。

私がスパルタ教育の中で学んだことは3つある。

①どんなに嫌なもの(勉強)でも毎日やっていれば成績は上がる。

②ただし、どんなに努力をしても、上達しないものはしない

③スパルタ教育は子供から「楽しんで学ぶ」という気持ちを根こそぎ消し去る

この中でとくに弊害が強いのが③である。これは大人になった今でも残り続けており、基本的に自分がやったことのないものに対しては常におっくうで関わりたくない。「何かを始めるとしんどい思いをする」という教訓があるからだ。

さらに、勇気を振り絞って新しいことをやってみても、「楽しんで学ぶ」ことができないため、すぐにやめてしまうか、上達しないままなぁなぁでこなすようになる。結果、何にも挑戦しないし、変化もしないつまらない人間が出来上がるのである。

余談ではあるが、このような厳格な教育を受けたものの、現在両親との関係は良好である。ある時、なぜあのような厳しい教育をしたのかと問うてみたことがあるのだが、それは親自身が幼いころ貧乏で習い事や塾など一切通うことができなかったという悔しい過去があるため、自分の子供にはそんな思いをさせまいと頑張っていた結果とのことだった。

正直、それでも教育の方針は完全に間違えていたのだと思うが、彼らも所詮は人間。過ちは誰でも犯すものなのだ。というわけで、大人になった私は彼らをすっかり許している。

ダメ人間の醸成方法②「中学からの謎のコミュ力低下」

今思い返せば小学生のころは楽しかった。男女なんてあまり関係なかったし、学校の中にカーストというものも存在しなかった。お金持ちも貧乏も、スポーツマンも運動音痴も、みんなで一緒に遊んだ。私はどちらかというと女子と一緒に過ごしているタイプの子供だった。

男子らとスポーツやゲームでエキサイティングしている時間ももちろん楽しかったが、道端でひたすらくっちゃべってる女子のノリのほうが私にはあっていたのだと思う。あんまり一緒にいすぎて、ある女子の父親(柔道の先生)に「俺とヤるか?」と脅されることもあった。いつも一緒にいるのが気に入らなかったらしい。

とりあえずそんなこんなで女子との接点がかなりあった私は、ラブレターをもらったり急に抱きつかれたりといった経験もそれなりにした。当時はそういうことに全く興味がなかったから正直うっとうしかった。

そして運命の中学入学を迎える。当然小学生のころと同じノリでいけると思っていた私は残酷な現実に打ちのめされることになる。

ある日、小学校のころに仲が良かった女子から話しかけられたときのこと。昔であれば冗談を言いながら会話をするところだが、なぜか体ががちがちに緊張してうまく話せない。自分の身に起こった不可思議な現象に戸惑っていると、その女子はドン引きした表情で私のもとを去っていった。そういうことが一度ならず何度もあった。そして私は気づくのである。

「あれ、女子と話せなくなってね?」

私は全身から血の気が引くような感覚をおぼえた。何かがおかしい。なぜ女子と話せなくなっているのだろう。必死に考えるが一向に答えが見えてこない。悩みすぎて眠れない夜も一度や二度ではなかった。そんな日々を送っているうちに、私はやがて女子軍団から「恋愛対象外のゴミ虫」程度にランク付けされ、まともに相手されなくなっていくのである。そして、私はさらに重大なことに気が付く。

「ん?男子とも話せなくなってね?」

そう。普通は気兼ねなく話せるであろう同性とすらまともに話すことができなくなっていたのだ。何がきっかけだったのかはいまだにわからない。しかし、中学入学を機になぜか私のコミュ力はどんどん枯渇していった。まるでひび割れたコップから水が漏れていくように。それは私の力では到底防ぐことのできないある意味強迫的な現象だった。

そして高校生になったころには、私は一日中誰とも会話をせず帰るのがザラという立派なコミュ障へと変貌を遂げていたのである。

それからというもの、とくにコミュ障が改善されないまま様々な弊害と闘いながら大人へとなっていってしまうわけだが、コミュ障のまま大人になるとどういう問題が生じるのか。それは「シャカイ、コワイ。オレ、ハタラクノムイテナイ。マヂムリ」という負の自己暗示がかかってしまうことである。

この自己暗示は死ぬほど強力で、いまだに私の中に残り続けている。そう、いつでも会社を辞めて実家に戻り引きこもりの生活を送るというチャンスを今か今かと窺っているのである。そんな精神状態であるから、仕事に精が出るわけもなく、適当に仕事をこなして職場を出た瞬間に唾を吐き捨て、出勤のときより2倍速の歩行スピードで帰宅するという毎日を送ってしまうのだ。

ダメ人間の醸成方法③「反抗という名の逃げ癖」

話は少し巻き戻り、高校一年生のころのエピソードになる。上述したように地獄のスパルタ教育を受けてきた私は、高校に入ると同時に尋常じゃない反抗期を迎えていた。これまでただ従ってきた親や学校に対して屁理屈をこねては反抗し、社会が白といえば自分は黒! 自分が黒といって社会も黒といえばやっぱ自分は白! というようなスタンスで生きるようになっていた。

このころはとくに‟校則”というものに対して徹底的に抵抗するという謎の性癖を発症しており、服装や髪型で違反するのはもちろん、学校の行事もすべてバックレる始末だった。あるとき、クラスメイトから「みんなで一緒にやるからこその文化祭だよ」と言われたのだが、心の底から吐き気がして本当に体調が悪くなったことがある。今から思えばクラスメイトの言いたいことは理解できるし、むしろそんなことを言ってくれてありがとうという感じなのだが、当時は死ぬほどうっとうしく理解ができなかった。

あの頃の私は、親や先生に反抗することこそが”自由”なのだと信じていた。実際、ダメと言われていることを制止を振り切ってやることは非常に快感だった。だんだんと歯止めが利かなくなった私は、いつしか反抗的な態度をとるのが当たり前になってきていた。普通に学校に行って先生たちの言うことに文句も言わずに従っているクラスメイトのことが哀れに見えるレベルにまで到達していた。

しかし、私はこのとき”自由”というものを大きくはき違えていた。私が自由だと信じていたものはただの”逃げ”だったのだ。学校の行事をさぼるのはクラスメイトと接するのが嫌だったからというのが主な理由だったし、親や先生に反抗するのは、自分が無価値な人間ではないという心の叫びの裏返しだった。要は、”苦手なことから逃げること”を”自由”と称して無理くり肯定していたのである。

そんなこんなで、普通は学校生活を通して学ぶ”集団の中でうまく生きるスキル”を全く持って磨いてこなかったため、社会に放たれた私は過去の”自由”の代償として一生消えない”不自由”を享受して生きていくことになるのである。

ダメ人間の同志たちへ

さて、これまで私がダメ人間になった要因について考察してきたわけだが(本当はもっとほかの要因もあるがここまでにしておく)、読者の中には「なんかわかる」と共感してしまった同類もいることだろう。いないことを願うが、たぶんいるだろう。そんな同志に私は言いたい。

ダメ人間でも幸せに生きられるって証明しようぜ」と。

うさんくさい自己啓発みたいなセリフだが、私はいたって大真面目である。我々がダメ人間になった要因には、上で考察したように環境のせいもあるし自分自身のせいもある。自業自得という見方もあるかもしれない。しかし、だからといって、この先の一生を落ちこぼれのクズとして生きていくのが正しいことだとは思わない。弛みきった心を奮い立たせ、今こそ立ち上がる時だ! そう思ってもダメ人間の我々は二時間後にはすべてを忘れ、へそをかきながらアイドル番組をブヒブヒ見ていることだろう。ここから心機一転、意識高い系人類へと進化するなんて笑止千万なのである。

だが、この世の中は可能性に満ちている。Youtubeではぼっちの大学生がただ日常を上げるだけで数十万回再生される世の中だ。なにがきっかけで人生が好転するかわからない。ただ一つ言えるのは、「どんなに人から嫌われても、がっかりされても、自分自身すら信じられなくなっても、決してあきらめるな」ということである。

何をあきらめるな、なのかはわからないが、とにかく何かをあきらめてはいけないのだ。それはきっと、「昔見たAVがまた見たくなって検索したけど全然出てこない。でもあきらめたくない」というようなことでもいいと思う。

何かをあきらめたくない、という気持ちこそがその人の核となりうるし、原動力になるはずだ。私はこれから、ダメ人間の観点から様々な無益な記事を書いていくことだろう。しかし、書く内容は誠意をこめて作ろうと思っている。

もしも興味を持ってくれた人は、次の記事もふらっと見に来てもらえるとありがたい。何かをあきらめたくないダメ人間たちの休憩所のようなブログになれれば、とひそかに願うばかりである。

大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。