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「自分に宛てる手紙」というのがキモいけど結構良い

生まれてこの方自己肯定感というものを得たことのない私の心は、干潮で姿を表した岩のようにトゲトゲしていて鬱陶しい。

何をするにもネガティブだし、消極的だし、しまいには純粋にハッピーな出来事すら悲しく思えてくるから厄介なことこの上ない。時折、自分は自分が傷つくことでエクスタシーを感じる変質者なのかもしれないと真剣に悩むことがある。ある程度の年齢まではこれが普通なのだと思って過ごしてきたのだが、大人になるとどうやらこれは異常なのだということに気がついた。

異常なのだから正常に戻さなければならないと様々なことを試したが、心の中に潜んでいる「隙あれば包丁で刺してくるイカれた通り魔」を撃退することはできなかった。むしろ今の方が生き生きと包丁でぷすぷす刺してくる。

この変態とおそらく一生付き合っていくのだろうと諦念の中で生きている私だが、やはりときどき自己啓発本に手を出してしまう。これまで幾度も騙されては嘲笑を受けてきた憎き自己啓発本。一生手を出すものかと思っていた自己啓発本。気づけばKindleで『セルフコンパッション』をポチってしまっていた。

この怪しげな本はどんな内容かというと、「自己肯定感を高めよう」というやはり怪しげなものだ。しかし、自己肯定感の干ばつによりトゲトゲの岩場と成り果てている私の心は、裸足で歩いていくにはいささか無慈悲な趣がある。どうしても足を守ってくれる靴が必要なのだ。

白目を剥きながらページを手繰っていると、ふとある文章が気になった。それは「自分自身に手紙を書こう」というものだった。第三者の目線で慈悲の心を持って自分に手紙をしたため、自己肯定感を爆上げしようというのだ。

最初はさすがにイカれている、と鼻で笑い飛ばしてページも飛ばしたが、なんだか無視できずに頭の中にずっと残っていた。しかし、さすがに自分に向けて甘々のラブレターを書くなんて意識が飛びそうなほど泥酔した状態でないと厳しい。シラフで真顔でやれる芸当ではない。

だが、岡本太郎はかつてこう言っていた。

『なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ』

太郎が言っているし、とりあえず少しだけやってみるか、ということで恐る恐る自分に手紙を書いてみることにした。

最初の一文をひねり出すのに半日を費やしたが、「君とはもう長い付き合いになるね」という何かを言っているようで言っていない抽象的な一文でスタートすることに成功した私は、自分のコンプレックスやトラウマや悩みのあれこれについて、菩薩のような気持ちで暖かく包容するメッセージを書いた。きっと手紙を書いているときの私は半目で虚ろだったことだろう。

はじめは馬鹿にしながらやっていたが、色々思いついたことを書いていくうちに、自然と涙が出てきた。どういう感情から溢れた涙なのかは形容しがたいが、なんだかひどくホッとするような感覚に陥ったのだ。

「自分に自分で手紙を書いて泣いてるのヤバすぎる」といつもの通り魔が包丁を根本までぶっ刺してくるが、そんなことはどうでも良くなるぐらい不思議な体験だった。

自分がこれまで失敗だと思っていた出来事や欠陥だと思っていた人格が、オセロのようにひっくり返って肯定されていく。ほんの数分だったが、そんな体験をすることができたのだ。

正直これを書いている今現在はシラフに戻っているから、やはり一人で手紙を書いて泣いているのはヤバい光景に違いないと思う。ただ、もう一度くらいならまたやってみても良いかな、と思っている自分もいる。

自分のことを客観的に見て手紙を書くという行為は、非常に奇妙だが一度はやってみても良いかもしれない。ということで、皆さんに共有したくてここに書かせてもらいました。

暇な人はぜひやってみてください〜


大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。