頑なに守りたいものは結局「過去の栄光」という話
音楽っていうから、テクノだったりエンタメだったりなんかもっと電子的なもの(偏見)を想像して記事を開いちゃった方、ごめんなさい。
私がこれから書くことは「基礎としてクラシック音楽をやってきた人」への思いです。なので、間違えて開いちゃった人には「は?え?何?そんなこと考えるの?」な記事でごめんなさい。
テーマその1:演奏家が守りたいものって何なのか?
ぶっちゃけ、私ピアノ弾けますが絶対音感ないし、「ベートーベンの何番が・・・」とか「○○という有名な指揮者が・・・」とかいわれてもわからないし音楽用語(何調とか、何度の和音、とか)いわれてもわからないです。
こんなのでもコンクールで全国大会とかいけるし、留学もできるんです。
私が音楽がすきだな、ってモチベーション保っていたのはすっごくアレなんですけれども某乙女ゲームのおかげです。楽器ができるイケメンたちが主人公と一緒にコンクールを目指したりアンサンブルをしたりするんですまじで当時「3次元でも楽器弾ける男としか付き合いたくない」とかふぬけたこといっていた女子高生でしたからね。
そんな不純な動機でクラシック音楽を平べったくすきになったのですが、そこからピアノ弾く時には「ここはこんな情景」とか「ここはこんなセリフ」とか妄想して、音として表現する、そんな超絶自己満足なことが楽しくなっていったんですよね。楽譜を発掘すると、楽譜とともに当時書いたと思われる曲にあわせた小説が出てきますよくまあこんな想像力あったな私(笑)
これは私の話なのですが、じゃあこの「演奏する」という行為って電子ピアノでも、テーブルに映し出せるようなピアノでも、もしくは機械でも自動演奏でも表現できるよねって言われると「うーん…」と渋い顔をしてしまいます。
で、その理由を考えていたんですね。
これは「女は家事をする」とか「結婚して子どもを生む」とか「会社は定年まで勤める」とか、そういう短い歴史の中で生まれた謎の固定概念と同じで、「ピアノはあの一般的にイメージされるものであり、私はそれ以外認めない」って心のどこかで思っちゃっているからなんですよね。
じゃあなんでそう思っちゃうの?って、それは結局私がこれまでやってきたことを否定したくないっていう話と、アレンジしたり即興でひく能力がなくて楽譜がないと何もできない自分の能力へのコンプレックスなだけだと。
つまり、私が「ピアノを弾く」という行為で譲れないものってなんだろう、というと結局「過去の自分の栄光や経験」なんじゃないか?と。
別に私がめちゃくちゃ保守的かといわれると多分そうではなくてグーグルホームめっちゃ便利!とか、ゾゾスーツ買っちゃうくらいにはちゃんと(?)世の中にもついていっています。
でも、音楽に対してはこの思いを捨てられないのが相当厄介です。もちろんこの意見に同意しなくていいのですが変わりゆく世の中で、演奏家が守りたいものって何なんでしょうか。
100年企業が守りたいものであったり、「伝統」と名のつくものを持つ人たちが守りたいものであったり、うっかり(?)この世に生まれてしまったものはすべて「何か大切にしたい軸」があるはずなのですが、演奏家にとってそれはなんなんでしょうかね。最近とっても気になることなのでした。
なぜこんなことを考えるようになったのか?そんなことを次回。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?