ログする私たちのキモさ──『名称未設定ファイル』を読んで(2022/6/11)
2つの図書館を股にかける今日この頃、どうも宮蛍です。
時刻は現在21:00過ぎ、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
品田遊著『名称未設定ファイル』を読みました。
品田遊ことダ・ヴィンチ・恐山さんにとって、インターネットの世界はこのように映っているのか……という驚きと親しみがある。
それを特に感じられたのが『亀ケ谷典久の動向を見守るスレpart2836』である。
タイトルからお分かりのように、2ちゃんねるを筆頭としたネット掲示板をモチーフにした作品である。本文も全てネット掲示板のフォーマットに沿って書かれており、その意味で電子書籍で読んだ方がもっとユーモラスだろうなと感じた。
内容もこれまたタイトル通りで、「亀ケ谷典久」という平凡な既婚サラリーマンの動向が観察され、その様子が逐一ネット掲示板に書き残されていく、というものになっている。part2836ということもあって、どうやらこのスレは彼の幼少期から──下手すれば産まれた頃から──続いているらしい。
ファンがいればアンチがいて、古参がいれば新規もいる。この掲示板のなかだけで成立するハイコンテクストな内輪ネタも存在する。そういう世界観だ。
これが”誰”によるものなのか?という問いは一旦置いておくことにする。上位存在による戯れなのか、或いは現代の監視社会に対する皮肉なのか、そういうことも全部放置。
重要なのは、この物語を読んだときに感じる純粋な「キモッ!!」という感情である。ごめん、キモイは言いすぎた。
しかし、あらすじを聞けば誰もが「いや、ネトストじゃんwww」と思っただろう。
ネトスト、つまりネットストーカー。
見ず知らずの赤の他人、その人の動向を彼が産まれた頃から複数人で監視している。まして彼の性格についていくつかの特異なエピソードから類推したり、その行動を一つのネタとして扱ったりする。
例えば、本文中にはこんなやり取りがある。
やっぱ、めちゃくちゃキモい。自分がこんなんされていたらと思うとゾッとしてしまう。
しかし、私はこの小説を読みながら、ふと思ってしまった。
「あ、これ『匿名ラジオ』で話してたヤツじゃん」って
『匿名ラジオ』とは、恐山さんと同僚のARuFaさんがタッグでパーソナリティを務めるラジオ番組である。毎回奇特なトークテーマが設定され、十数分程度のない話が展開されることでお馴染みのこの番組で、恐山さんは似たような状況について話していた。
それは「視覚情報が常にニコ生に接続されていて、同時にニコニコ動画の字幕も自分の視覚に反映される(のが死ぬよりイヤなこと)」というもの。
微妙に違うが、自分の一挙手一投足がネット社会で肴にされている、という点では一致している。だから私はこれが読んだときに「あぁ……恐山さんって本当にいつもこんな感じのこと考えてんだな……」と思った。
しかし、冷静に考えてみよう。
私のこのリアクション、めちゃくちゃキモくないか?
だって、多分当の本人である恐山さんは、自分のラジオや動画での発言を逐一覚えちゃいないのである。
実際、恐山さんは──少なくとも過去の時点では──自分のラジオを聞いてないことを明言しているし、その他のメディアでも「何言ったのかを忘れていることが多い」と語っている。
ここでスッと引用が出てくるのもめちゃくちゃキモい。なんで私は、恐山さんでもないのに、彼の言動を彼より深く広く把握しているのだろう。
思うに、ヲタクにはこういう気質がある。蒐集癖と言ってもいい。ポップに言い換えるなら「好きな人のことならなんでも把握していたい」というメンヘラ的な執着だ。
西に推しの愛読書があれば紐解き、東に推しの好物があれば片道数時間かけてでも食す。
特にYoutuberやVtuberといった、存在そのものがコンテンツと化している状況では──彼らがインフルエンサーと呼ばれる事実に裏付けられるように──その傾向が顕著なヲタクが多いように感じる。私たちは彼らのコンテンツを日々蒐集し、その日常を垣間見、そして深く記憶する。
こうした行為だって、ある意味ではネットストーカー的な狂気を孕んでいるのではないだろうか?
”推し”や”ヲタク”というラベリングによって免責されているだけで、その根本は結局異常なんじゃないか?
特に恐山さんは──やや奇特な形ではあるが──一般の会社員であり、アイドルや芸能人、タレント、ましてYoutuberとも言いづらい側面がある。私が彼の情報を必要以上に記憶していることは、例えそれが彼の意志によって晒された情報であったのだとしても、正常とは言い難いのではないか?という疑問が頭にずっとチラついていた。
少し前に、恐山さんがこんなGoogleフォームを開いていたことを思い出す。
具体的な数字はわからないが、恐らく大量のエピソードが届いたのではないかと思われる。
当人が全く覚えていないエピソードを、一切関係のない赤の他人が大量に突き付けてくる、という現実。
また彼は、別の匿名ラジオでも「自分がタランチュラの素揚げをしたことをTwitterで「初めて揚げ物に挑戦した!」と報告したら、知らんアカウントに「いや、違いますよ。恐山さんは以前ガムを素揚げしたことがあるじゃないですか」と訂正されてビビった」ということを話していた。
このように、恐山さんの行動は常日頃から私たちによってログされている。そして私たちは彼の知らないところでそのログからハイコンテクストな内輪ネタを生成し、勝手に盛り上がっているのである。
このような現実を鑑みれば、『亀ケ谷典久の動向を見守るスレpart2836』というのは、現代においてもある程度のリアリティを以て描かれた作品なんじゃないか?と思えてくる。同時に私は私のキモさに打ちひしがれ、絶望するばかりだ。
そのキモさは誰かから咎められるものではないかもしれない。
そのキモさは誰かに迷惑をかけるものではないかもしれない。
そのキモさは私たちの日常のささやかな光で、温もりで、拠り所かもしれない。
けれど、だからこそせめて自分のキモさは受け入れていたい。自分がキモくない人間だと、それが正常なんだと開き直るのではなく、自分のキモさと真摯に向き合っていたい。
そうすることで、私は無害なネットストーカーではなく、ちゃんとヲタクとして生きられるような気がするから。
そんなことを思いました。
……長々書いたわりに「キモい」の定義も非常に曖昧で、お粗末極まりない文章になってしまった。もうちょっと時間があるときに精査したい。
今日は一旦終わります。
お疲れさまでした。
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