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noteに関する野望

こんばんは。蛍智宏です。

今日は、今年初のビブリオバトルに参加してきて、チャンプ本こそ取れなかったものの幅広い年齢・地域・ビブリオバトル歴の方とご一緒出来て非常に楽しかったです。でも今日はこの話をするわけではありません。そこまで多くの人が参加していたわけではないので、個人が特定されるかもしれないからです。

その後、高校時代の友人で現在は他の大学で演劇サークルに所属している友人が作・演出を務めた劇のオンライン配信を見ていました。彼女は以前書いた「私の友人」というnoteの主人公で、作品もいろいろ考察ができるステキなお話でした。でも今日はこの話をするわけではありません。ストーリーから彼女の所属サークルが、さらには私の交友関係がばれてしまうからです。

少し考えすぎだと思ったかたもいると思います。ただ私は私が誰であるかということをバレたくないのです。特に、私のことを知る人には。

これには私がnoteを始めた頃に抱いた野望が関係しています。そもそも私がnoteを始めたきっかけは、自分が考えていることを言語化・文章化できる人になるために文章を書く習慣を付けたかったからです。私は考えすぎる癖があり、○○とは?なぜ△△なのか?そもそも□□である必要は?などなど根本的なところまで思案を巡らせます。当初は、こういうことを書いていくのだろうと思っていました。

noteを始める際に、私の前には2つの選択肢がありました。本名に近い名前で登録して、自分のツイッターでシェアしながら友人にも読んでもらう道。もう一つは、ペンネーム的なもので登録して、シェアもせずにひっそりと書いていく道です。私の答えはすぐに出ました。後者です。

その理由は、単純に自分の考えすぎていることを整理するために書く文章は赤裸々な内容になることが予想され、恥ずかしかったからです。ある種、これは私の弱さです。この恥ずかしさを超えなければ、到達できないこともあるでしょう。

ただ、私にはこの選択を正当化する野望が思いつきました。私が友達にもシェアしながらnoteをしていたら、私の友人のうち何人かは「私が書いているから読もう」と思うはずです。でも、そうしなければ私の文章を読む人は「タイトルに惹かれて読んだ」「内容が良かったからスキした」「読むのが楽しいからフォローした」となるでしょう。こっちの方が断然嬉しい!私は自分の背景を知らない人からの評価が欲しくて、noteをしていることすら誰にも言わずに文章を書くことにしました。

そして、ここからが野望です。どの知り合いにも言わずにnoteを更新していても、良い文章は拡散されるでしょう。そして、私の友人の目にも留まるようになり、もしかしたら気に入られることもあるかもしれません。その結果、私に対して「智宏、このnote知ってる?」「この文章読んでみなよ」と言われたいのです。そしてさらに、「それ、私だよ」と返してやりたいのです。ここまで来たら「ホンモノ」でしょう?

この野望を抱きながら、毎日noteを更新しています。

最後になりますが、私のことを知らないのにこの文章に出会い、読んでくれたあなたに感謝しています。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

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