乱読読書日記⑦ 森博嗣「集中力はいらない」

森博嗣さんは高校生の頃から読み続けている大好きな作家さんだ。

小説はほとんど読んでいたが、新書は読んだことがなかった。
最近新書を手にとる機会が多かったので、手に取ってみたのだが、なんだか自分の浅さを身につまされたので自戒も兼ねて記録しておく。

一番面白かったのは私のような凡庸な人間の考える集中力の定義と森さんの集中力の定義は違ったということだ。

たとえば、森さんはものすごい速度を執筆される。(平均6000字/時)

しかし、長期間特定のことに「集中」して何かをするのは苦手で、執筆も1日のうちに10分ずつ程度細切れの時間を持ち、少しずつ書いて一日合計1時間程度費やされるらしい。そうでないと飽きてしまうからだそうだ。

ここで森さんの述べている集中とは、「一つ」のことに「長時間」「それだけに意識を向けて」作業をするという意味で使われているようだ。

私の考える集中とはとあることを突き詰めて考えるというイメージだ。

よく思考は水に潜るのに喩えられるので、泳いでいる人でイメージすると

特定の場所に長時間止まってぷかぷか浮いているのが、森さんが「いらない」と言っている集中力。深さではなく場所と時間で定義されている。

短時間であっても深くまで潜るのが私の思う本来必要な集中力で、思考の深さで定義されるものだと思っている。森さんの思考は短時間でもぐんぐん深く潜っていって、必要なものをすぐにとってきてぐんぐん戻ってくるイメージ。


凡庸な若者である私は、よく言われる情報過多社会のせいかスマホのせいか昔からくせのせいか深く考えることは苦手だ。

特に大学院の研究では新しいことを自分の頭で作り出していくために、自分の頭で一から理論を構築していく思考が必要だったのだが、調べてなんとなくわかった気になるか、調べて分からないとそこで思考停止してしまう。

森さんは本作でこのような思考を、考えているのではなく「ただ情報に反応しているだけ」と述べられている。

思考の底が浅いのだ。


じゃあどうやって深く思考できるようにするかというと、

その答えを他人に求める時点で思考せずに反応しているだけなのであって

自分で思考し続ける以外に道はない。

私の夫は研究職だが、人よりも集中することが苦手だとよく言っている。音があったり、同時に話しかけられると相手が何を言っているか理解ができなくなる。マルチに情報を処理することはできないし、文章を読むのも私より時間がかかる。だが、思考の底が深く、一から論理を構築していくことが上手だ。情報に反応しているだけでなく、きちんと咀嚼して、解釈して、飲み込んで、その上で自分の論理を構築している。


ただ同じことを長時間するだけの集中力なら機械の方が人間より圧倒的に得意だ。そんな集中力なら(多くの人がそうだが)、もう意味がないんじゃないの?Inputしたものを大して咀嚼せずそのままOutputするのなら機械学習でもできる。人間の価値はもうそこにはないんじゃないの?

というのがこの本の内容だと私は解釈した。うーん優しそうなタイトルで手厳しい。そしてそのタイトル通りを期待して手に取った自分の浅ましさが恨めしい…。

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