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どうしようもない夜は、とにかく歩く。
3ヶ月に1回くらいのペースで、どうしようもない夜が訪れる。昨夜はちょうど、そんな夜だった。
自分の息遣いと、世界のあり方が少しずつズレていって、そのズレから少しでも目を背けようと必死に前を向いているうちに、心の大事な部分が削れていって、呼吸がしづらくなる。
そういうとき、大抵の場合は日が出ている間は、頭の中がぼーっとしていて何も考えられず、疲労感に打ちひしがれながら、その日やらなければならないタスクに追い立てられている。
そして、夜になって一息つくと、頭の中でもう一人の自分の声が鳴り響いて、うるさくてうるさくてたまらなくなるのだ。
頭の中の私は、いつもメソメソしていて、悲観的で、否定的で、面倒なやつ。
私はそいつを追い出したいのに、どんなに頼み込んでも出ていってはくれないので、仕方なく「絶望」と名前をつけて、頭のすみっこのほうで暮らしてもらっている。
普段は体育座りをして静かにこちらを眺めてくれている絶望だが、たまに訪れるどうしようもない夜には、何の前触れもなく、頭の中で大暴れを始める。こうなってしまえば、もう手がつけられない。
何とか気を紛らわせようと思って、おいしいものを食べても、おもしろいアニメを見ていても、温かいベッドに横たわっても、しかしそいつはうるさいままで。
耳をつんざくような叫び声には、耐えられない。けれど、私が一緒に叫んでしまっては、そいつも止まらなくなってしまうので、ここはグッと我慢しておくのが賢明だ。
そして、私はそういう夜、決まって散歩に出かけるようにしている。もちろん、頭の中の絶望も一緒に連れて。
自宅から最寄りの駅までは、往復で20分くらい。女の独り歩きは怖いから、夜でも街灯に照らされて、比較的明るい道を辿る。
そして、なるべく速歩きで、一心不乱に自宅から駅までを何度も何度も往復するのだ。さながら不審者だが、こうする他に方法はないので、この際人の目は気にしないこととする。
先輩がくれたノイズキャンセリングのイヤホンで、最近よく聴いているお気に入りの曲なんかを流して、過ぎゆく歌詞を頭の中でなぞっていると、絶望の叫び声も少しばかり遠のく。「よし、いいぞ」と思いながら、額ににじむ汗を拭って、また歩く、歩く。
絶望にだって体力の限界はあるから、私の身体が疲れてくると同時に、そいつもだんだん疲れてくる。
疲れてくるといつもの叫び声にも勢いがなくなってきて、だんだんそいつの本音が聞こえてくるのだ。
「本当は大丈夫だって思いたい」
「逃げ出したくない、ちゃんと楽しく暮らしたい」
「しんどい、でもまだ諦めたくない」
私はそんな声に、「そうだよねぇ、わかるよ」とか適当に相槌を打ちながら、帰り道のコンビニでジュースなんかを買って、絶望と乾杯する。
「君の気持ちはわかったからさ、とりあえず、ちょっと落ち着いて。私も頑張るからさ、気楽にやろうよ」
そう言うと、絶望も小さく頷いて、小さな手で私の手を握るので、私もその手を優しく握り返す。そうして、長い旅路を終え、帰路につくのだ。
困ったやつだけど、見捨てられない。そういうものと暮らしている。
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