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バス停のある風景:京急バス剱崎線

三崎東岡⇒剱崎⇒三浦海岸駅を結ぶ京急バス剱崎線。
タイトル画像は三崎東岡バス停そばにある三崎営業所の車庫。
三崎東岡バス停は三崎港の北の高台にある。
多くのバスがこのバス停を始発とする。

剱崎線、おそらく京急バスで一番素敵なところを走るバス。
と、思っている。
剱崎線三浦海岸行きは「三崎東岡」から発車する。

三崎東岡

三崎東岡を発車したバスは「三崎港」を経由して、かつて城ヶ島への渡船場のあった「仲崎」を経て「日の出」へ。
日の出バス停の前は北条湾。
かつては北条水軍、三浦水軍の港。

日の出 背後が北条湾

次は「北条」。
北条湾のどん詰まりにある。
そして、「椿の御所」。
椿の御所とは源頼朝が建てた別荘の一つ。
このほかに桃と桜の御所がある。
椿の御所は、今は大椿寺(だいちんじ)となっている。

椿の御所

急な坂を上りきるあたりにあるのが、「城ヶ島大橋」。
城ヶ島大橋は昭和35年に完成し三崎と城ヶ島の行き交いを容易にした。
と同時に長らく住民らの足となっていた渡船がなくなった。
2000年まで有料道路だった。
ここから先は、道路が少々狭い。
「台向ヶ崎(だいむこうがさき)」を過ぎると、バス停はないが八景原。
かつてはレストハウスがあり風光明媚なところだが、その昔はこの断崖から飛び降りる人がかなりいたとの話。
八景原の先から道路拡幅されているが、バスはその手前で左折して今までとそう変わらない幅の道に入る。
これが旧道。直進する広い道路は新道で、毘沙門の海岸線を行く。
左折してすぐのところが「宮川町」。
ここから谷筋を下っていくと、宮川港で、その傍らに評判のいい海鮮飯屋がある。

宮川町

宮川町の集落を抜けると、一面に畑が広がり、行く手に小高い丘が見えるのが岩堂山。
バスは海から遠ざかるように岩堂山へと緩やかな上り坂を登る。

岩堂山

岩堂山の中腹まで登りきると、バスは方向転換するようにして海の方へ向かって下っていく。
遠方に房総半島の先端が見える。

岩堂山からの下り 大乗バス停で時間調整する三浦海岸駅行バス

その坂の途中にあるのが「大乗(おおのり)」。
時間調整する三浦海岸駅行バス。

大乗
大乗

大乗バス停で車を止めて三崎東岡行きのバスダイヤを確認する。
実はこの先、「大原」を過ぎ毘沙門集落に入ると道路が狭くなり、バスと出会った場合かわすのが大変になる。
ダイヤを見ると5分程で東岡行きのバスがくるので、このまま進むと、出会うこと必至。
そこで、大乗ー大原間でバスがくるのを待った。
こんなことをするのも、時間に余裕があったし…。
運転の下手な私は、ギリギリで交わしたり、バックするのが下手だったので危険回避したのだ(笑)
恐らく、バスダイヤは毘沙門集落でバス同士が出会わないようなダイヤを組んでいるはずだ。

大乗から少し下ったところで出会った三崎東岡行バス
毘沙門集落の入り口にある「大原」

大乗を過ぎ、「大原」。
道幅の狭い毘沙門集落の入り口。
昔ながらの道幅であろうと思われる毘沙門集落。

毘沙門集落の狭い道

集落中ほどに「毘沙門」のバス停。
集落を抜けると再び畑が広がり「毘沙門天入口」。
バス通りから右に細い道が分かれ、その先の下ったところの海岸に近いところに毘沙門天がある。

毘沙門天入口(三崎東岡行き)
電柱と仲良し(笑)毘沙門天入口(三浦海岸行き)

毘沙門天入口を過ぎると下り坂になり、下りきると、宮川町手前から別れた新道に合流する。
狭い道もここで終わる。
下って少々行くと「江奈」。
東岡行きのバス停の背後に江奈干潟が広がる。

干潟で知られた「江奈」
江奈の干潟

バスは江奈湾沿いを走る。
次のバス停が「剣崎(けんざき)小学校」。
かつての剣崎剱崎名称問題の痕跡を残す剣崎小学校。

剣崎小学校

バスは「松輪海岸」を過ぎ、海岸から離れたバスは坂を上り台地の上へと登りきり「剱崎(つるぎざき)」。
灯台のある剱崎へはバス停から20分ほど歩かねばならない。
かつては、もう少し灯台に近いところまでバス路線があったらしい。
この辺り一帯を松輪という。
あの松輪サバの松輪だ。

これから先、三浦海岸まではまたの機会に。
(といって、忘れてしまったりするかもしれないが、その時はゴメンナサイ)

さて、剱崎と剣崎
今は剱崎(つるぎざき)と呼んでいるが、私が子供の頃は剣崎(けんざき)と呼んでいた。
はたして剱なのか、剣なのか?
調べてみると、どうやらもともとは「剱崎(つるぎざき)」。
そこへ京急がバス停を「剣崎(けんざき)」としてしまったらしい。
それからは剣崎がポピュラーになってしまったらしいが、地元の陳情により、剱埼(つるぎざき)に統一されていくらしい。
崎も埼になるらしい。
海図などでは埼が使用されている。
現在、京急バスは「剱崎(つるぎざき)」。
かつての名称変更問題の痕跡を残すのが「剣崎(けんざき)小学校」
名称問題の発端は京急か…。

さて、三浦半島で生活していると何らかの形で会話の中に出てくるのが、京急と西武
藤沢から三浦半島西部に鉄道を走らせようと言う西武の計画もあったらしい。
その夢は消えたものの、西武が土地開発しているところもある。
三浦半島独占の京急バスだが、かつて。他社の進出を恐れ三浦交通というバス会社を作って、もうこれ以上は他社を進出させないという対策を取ったと言う噂もあった。これは、地元の人の話として聞いていたが、実は三浦交通と京急はもともとは関係ないという話もある。
三浦交通は最終的に京急に吸収されたようだが。

話しがそれた。

みなさんも、三浦半島来訪の際はぜひ、京急バス剱崎線に乗ってみてください。

写真は2017年~2023年に撮影。