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上高地1970 ⑴

 私が初めて上高地を訪れたのは1970年。小学校低学年の夏休み。だから、もうほとんど記憶がない。あるのは数少ない写真のみ。
 マイカーによる家族旅行だった。マイカーと言っても商売をやっていたので、ライトバンだった。それでも父親は、神奈川の地から上高地まで延々と一般道を走って家族を上高地へ連れて行ってくれた。
 当時は中央道はまだ河口湖方面へのルートしかなかったから、相模湖からは延々と国道20号線を走り続けた。
 1970年撮影の写真のほとんどは父が撮影したものと思われる。

 私は二十代半ばになってからは毎年一度は上高地を訪問するようになった。はまったと言えるかもしれない。でも、体力なく、憧れの穂高には登ったことはない。もう、今からでは無理だろう。

 松本電鉄(現アルピコ交通上高地線)の新島々駅の写真がある。当時からすでに上高地へのバスターミナルとなっていた。なぜ、ここで車を止めたのか?トイレか、土産物屋に立ち寄ったのか?
 本当に何も記憶がない(笑)

新島々駅 1970

 この旧駅舎は2002年まであったようだ。下の写真が今の新島々駅。
 旧写真は、下の写真中央やや右に見える四角いゲートの辺りから撮ったものと思われる。

現在の新島々駅舎

 新島々駅から国道158号を1キロほど上高地方面へ進むと、旧島々駅舎跡。土砂災害で1984年に新島々ー島々間は廃止された。(新島々駅前にある旧島々駅舎は復元されたもの)1970年時も、すでに上高地の玄関としての機能は失い閑散としていた。駅舎右手には待合所のような建物があって、床が抜けていたりボロボロだった記憶がかすかに残っている。

島々駅 1970 (再掲)

 この駅の写真があるのは、モダンなしゃれたデザインだったからだろう。
 そして現在の更地となった島々駅跡。手前の道路は旧国道158号線。現在は旧駅舎裏、ホームの辺りを新国道が通っている。

現在の島々駅跡 (再掲)

 この旧国道をまっすぐ進むと梓川に突き当たり、橋が架かっていたが、それは取り外されたのか、なくなっており行き止まりになる。左上を走る新国道の新渕橋を渡ることになる。
 梓川を渡ったところが大野田集落で、新国道は集落の外を通過するが、旧国道は集落の真ん中を貫く。
 それが下の写真で、1970年にはもうあったのか「難路注意」のゲート。かつての上高地への道が楽でないことを物語っている。

今も大野田集落の入り口に立つ「難路注意」のゲート(再掲)

 今では国道158号線も改良されて、難路とは言えないかもしれないが、それでも運転を誤れば梓川の谷に転落する可能性大という要注意の道ではある。

⑵に つづく

※タイトル写真は1970年当時の大正池と穂高連峰