上高地1970 ⑷
上高地旅行は一泊二日で、初日は沢渡から直進する道を通って白骨温泉へ向かったと思われる。当時は、右折して沢渡橋を渡るルートが、上高地高山方面への国道158号線で、直進するとさらに山峡深い白骨温泉へと向かう道だった。
白骨温泉では最も奥に位置する斉藤旅館に泊まった。そこでの記憶はひとつ、川の水音がうるさくて眠れなかったということだけ。
この白骨への道はやはり難路で、一番の難路部分が温泉のバス停の少し手前にあるヘアピンカーブだった。
母が語るには、前をバスが走っていて、ヘアピンカーブで切り返しをする際、バスの後部が道路から崖の方にはみ出し、見ているだけで怖かったと言っていた。その状況はわりと最近まで続いており、十数年前に白骨へ行った際も、バスはこのカーブで切り返し運転をしていた。
斉藤旅館に宿泊し、翌朝沢渡まで来た道を戻り上高地へと向かった。
国道158号線も沢渡から先のほとんどの部分において安曇三ダム完成後に整備された。それ以前、1970年においては梓川に沿うように道幅もさほど広くない、難路に近い道路であったであろう。
私は、その古い国道158号線を通って上高地へ向かっているのだが、ここでも全く記憶がない。
今、沢渡ー中の湯間をバスで通ると、梓川沿いに旧道を見ることができる。ほとんどが草木が茂り、土砂に押しつぶされたりと廃道と化している。坂巻温泉前には旧道の橋も残っている。
中の湯に近づくと、トンネルで直進する現道の脇に、川沿いを通る旧道が分かれ、旧道の脇から噴気が上がっているときもあった。
そう、もうこの辺りは、北アルプス唯一の活火山焼岳のすぐそばで、火山活動が活発だ。
さらに、中の湯に近づくと、左車窓の上の方を見ると、コンクリート製の橋脚が建っている。
国道158号線中の湯ー安房峠ー平湯間は、道幅も狭くカーブが多い坂が続く難路で、夏になると平湯方面からの上高地へ向かう客で大渋滞が発生していた。午前中に平湯温泉を発車したバスが、夕方に上高地についたという話も聞いた。
加えてこの区間は冬季は閉鎖され、飛騨と信州の交通路が遮断される。そこで、安房峠をトンネルで抜ける新道が計画され、1997年に完成する。
しかし、焼岳の裾に位置する活火山帯で工事は難行した。そんなおり、1995年中の湯の工事現場近くで水蒸気爆発が起こり、犠牲者を出してしまった。
その爆発した現場が橋脚の少し下の辺りだった。それでも、長野五輪に間に合わせるべく工事は続行されたが、事故現場を少しばかり迂回するルートがとられ、当初のルートは放棄された状態になり、その名残が今残る橋脚だ。
事故以前には、事故現場付近の梓川右岸には中の湯温泉旅館の露天風呂があった。
早朝のバスで上高地へ向かうとき、風呂に入っている素っ裸のおじさんと目があったりしたのを覚えている。おじさんも、バスの乗客もただただ笑うばかり。
今は、露天も潰れてしまっているが、時々噴気が出ていたりすることがあって、お湯自体はまだ流れていそうだ。
中の湯。かつては中の湯温泉旅館はこの近くにあったが、前述の事故のあとにもう少し山の上の方へ移転した。
信号機のある交差点。直進すれば上高地。左へ大きく曲がれば、安房トンネルを経て平湯温泉、高山方面へ。
目の前にあるのは交互通行のできる新しい釜トンネル。その口の左側にある扉のついた入口は、旧釜トンネルへの入口。今はもう通行できない。
旧トンネルは道幅狭く一車線しかなく信号で通行を規制していた。トンネル内は断面も小さく、急な上り坂の上カーブもある、さらに中ほどには素掘りのままの状態の場所まであって、慣れない観光バスなどは、トンネル側壁に車体をぶつけたりして擦っていたという。
旧トンネルが通行できなくなって、有形文化財である釜ヶ淵堰堤も、バスからは見ることができなくなった。この堰堤は昭和初期にできた、当時としては最大級のアーチ型堰堤だと言う。
おそらく、この堰堤がなかったら、梓川の谷はどんどん大正池の方に向かって切れ込んで、大正池もなくなっていたかもしれない。
現在では、大正池は周囲の沢から流れ込む土砂で池底が埋まるため、オフシーズンに浚渫船で土砂を取り除いている。
新しい釜トンネルをぬけるともう一つ新しい上高地トンネルが待ち受けている。
このトンネルを抜ければ間もなく大正池の畔へ。
好天の風のない日であれば、穂高連峰を鏡のように映す大正池が見られる。
トンネルを抜けて、目の前にそびえる穂高を見ると何度見ても感動してしまう。
上高地は天候に恵まれなくても素晴らしいところだけど、初めて訪れた時だけは好天であってほしいと思う。
おそらく初めて穂高を目の当たりにした人は、感動せずにはいられないだろう。