上高地1970 ⑸
上高地トンネルを抜けて少々進めば正面に大正池と穂高連峰。その偉容を見て心を動かさない人はまずいないだろう。
現代と、1970年の穂高連峰の比較。緑に覆われている部分が多少違うだろうけれど、半世紀たってもそう変るもではないだろう。
1970年時は、マイカー規制はなく、上高地バスターミナルにある駐車場までマイカーで入ることができた。下記の写真はバスターミナルでバスと一般車が一緒に写り込んでいる。
その後、マイカー規制は繁忙期のみ規制され、やがて通年規制されるようになって今に至っている。
前述したように、長野県側からは沢渡からのシャトルバス利用となる。
私達は駐車場に車を止め、田代橋あたりから河童橋のあたりを散策したようだった。
1970年時の河童橋は第3代目、現在の橋は第5代目。
これ以上当時のことを書くネタはない。何しろ、私自身の記憶がほとんど残っていないから。
白骨の川の音、島々駅のぼろい待合所。これしか記憶にない(笑)
そういえば、夏休みの宿題として上高地の絵を描いて学校へ持っていった。題材は穂高でも、河童橋でも、大正池でもない。描いたのはなぜか釜ヶ淵堰堤。その理由は謎。結局、先生に提出したら「これどっちが上?」と聞かれる始末のよくわからない絵の出来だった(笑)
1970年の夏に家族旅行で訪れた上高地、これから約20年後、私は再び上高地を訪れた。そして、毎年一度は上高地を訪問することがノルマのようになって30年がたった。
しかし、一昨年のコロナ禍で毎年訪問は途切れてしまった。今年こそはと思っていたが、ここにきて爆発的に感染拡大。いつになったら、何も気にせずに旅ができるようになるのだろうか。収束には程遠い状況が続いているのがとても残念だ。
おわり