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晩秋上高地:消える大正池

上高地の大正池。
大正時代(1915年)に焼岳の噴火によって梓川の流れがせき止められて誕生した池。
大正池と穂高連峰は「河童橋と穂高連峰」に並ぶ、上高地を代表する風景となった。
そんな大正池も、周囲の沢から毎年土砂が流れ込み、池が埋まっていく運命にある。
自然に任せていれば、大正池は広い河原とその中を流れる梓川となってしまい、大正池そのものは消えてしまう。
大正時代にできた大正池。
それから100年ほどたっているから、普通ならとっくに大正池は消えているはず。
それが池として、いまだ人々の目を楽しませてくれている。
それは、浚渫(しゅんせつ)という作業を紅葉が終わったころから、雪で埋まるわずかな間に地道に行っているからだ。
浚渫とは、簡単にいえば水底にたまった土砂を取り除くこと。
タイトル画像の大正池に浮かぶ小さな船は、土砂を取り出す浚渫船。
毎年ダンプトラック3000台分を取り除いているとのことだ。
土砂はグラウンドやゴルフ場、造園などで再利用されているとのこと。
浚渫作業の発注元は東電だという。
大正池の端に東電霞沢発電所の取水口があるからだろう。

というわけで、

大正池は消えません!


けれど、大正池が消えないということは、自然に逆らうということ。
自然美の美しさで知られた上高地も、人の手によって保たれているということ。
そして、上高地の秋を彩ってくれるカラマツの黄葉。
実は上高地のカラマツは天然林ではなく、もともとは植林されたもの。
上高地は江戸期から松本藩によって森林伐採されたり、牧場があったそうだ。
自然の美しさで知られた上高地。
でも、そこには多くの人の手が加わっている。
さらに付け加えれば、大正池の下流にある土木遺産釜ヶ淵堰堤。
堰堤がなければ、上高地の風景はさらに変わっていただろう。

穂高と大正池と浚渫船 2016年11月
昔の大正池 1970年7月
カラマツの黄葉
釜ヶ淵堰堤 1970年

上高地の今の美しさを守るためには、人が手を加えざるを得ない。
でも、それは自然に逆らうということ。
手を加えず自然にすべてを任せて、自然による変化を受け入れるべきか?
それが問題だ。

※写真の一部は再掲